(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の7月10日です。)
世代にラベルを貼り、その特徴で色分けをすることで、世代間の違いにばかり目を向けることは危険だ。それぞれの時代に起きたことはもちろん違うので経験値の違いはあるだろうが、人間性では共通する部分が多いものだ。
その世代を超えた人間関係もたらす恩恵のもたらすものについて考えよう。異なる年齢層の人たちでも、本格的に交流すれば、互いに絆が生まれ、ひとりの人間として見られるようになる。さらに同じ目的に向けて行動しているとわかれば力を合わせることができる。高齢者は、相談に乗ったり、支援役になったりして若者の力になることができる。
ある児童心理学者はこんな言葉を残している。「子どもはみな、自分のことを理屈抜きで愛してくれる大人が少なくとも1人は必要だ」と。私もこれを心に刻み、子どもたちに自分のわがままな気持ちから余計なことを押し付けることはしないようにしたいと思っている。
それはけっして犠牲的精神ではなく、そうすることで高齢の私たちにとっても生きる励みになることだからだ。社会起業家のマーク・フリードマンは「若者たちの力になることこそが、真の『若さの泉』だ」と考えている。彼に言わせると「永遠の命とは、科学の進歩が生み出すものではなく、若者を支援することにより未来にレガシー(遺産)を残すことを通じで生まれるものだ」と。
こんな世代を超えた共感について書いていたら、「トイレの神様」の歌を思い出した。大ヒットした曲だが、なぜか最近やたらにこの曲をYouTubeで聴いている。
自分を育ててくれたおばあちゃんから離れ上京して2年。おばあちゃんが入院したのを聞いて会いに行く。しかし、おばあちゃんはなぜかすぐ帰るようにと言うのだ。なんの見返りも求めずただ成長を見守ってくれたたったひとりの理屈抜きで愛してくれた存在なのだ。
これを読んだ人はぜひ聞いてほしい。この文章を書いている私も目が滲んでくる。