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世代ごとの呼称が生まれた背景

(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の7月10日です。)

 世代ごとの呼称をつけることについて考えている。我が家の娘は、5歳年齢差があるが、前回紹介した分類から見ると、姉がY世代、妹がZ世代となる。確かに姉の方がネット情報に基づいて気に入ったものを購入する頻度が高い。妹の方が、靴ひとつ買うにも実際に履いてみて20分近く品物を見ながら店の中を歩き、納得しないと買わない。それは生まれつき大量の情報の中で育ったが、逆に不確実性に敏感だと言える。姉の方がワークバランスを大事にして休日は友だちと過ごすことに熱心だ。妹の方が、自分にとっての価値重視で仕事も3年経たずに会社を辞めて起業し夜中まで働いている。

 しかし、それは星座占いや干支と同じで、そういう目(基準)でこちらが相手を見てしまい、都合の良いところだけで納得している可能性もある。世代の区切りと命名が「恣意的に見える」と本でも言っている。「かなりその概念はいい加減なものだ」とも言っている。

 このような世代の呼称を決めるようになったのは、比較的新しいことなのだ。それが19世紀後半まであまり意識されることがなかったのは、社会の変化が緩やかだったからではないだろうか。家族に3世代いても、さほど生きた時代背景や生活意識に差がなかった。それに対して現代は、変化が激しく、「今産まれた子が成人し就職する時には、今は存在しない仕事を選ぶことになるだろう」という言葉を聞くくらい、20年というサイクルで社会は大きく変化している。

 また、世界大戦を終えて、これまでにはなかったベビーブーム世代が新しい変革を求めてきたことや、デジタル技術の発達でグローバルな社会が変化のスピードを上げていることなどから、当然生き方の順応を求められる。親と子で20年ばかりの差が大きな意識の変化につながっていることも事実だ。それが世代ごとの対比的な性質に表れているように思う。