(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の7月10日です。)
前回のまとめの言葉、「良い人生を生きられたかどうかは、最悪なことをどれほど経験したということと、最後にどう経験したかで決まるのだ。」つまり、良い人生を生きられたかどうかは、最晩年の経験によって決まると言えるということだ。老年学者のアンドリュー・エルダーは、「高齢者にとっては、いつ、何が原因で死ぬかも確かに重要だが、最大の関心事は、どこでどのように死ぬかだ」と述べている。
しばらく前に、アメリカの退職者たちが余生をあたたかいフロリダで過ごすよりも、都会で自分にとって意味のある活動や別の世代との関わりを持つことに関心を高めている例を扱った。また、本には“ウォーキングフットボール”が紹介されている。これは、歩くサッカーで、早歩きは良いが走ると反則とか、接触するとファールになるというような安全に関する注意を多く持つルールだ。ネットで調べると、日本でもあちこちで取り組み始めている。女性やこども、高齢者も一緒に楽しめるのだ。
高齢者は、活動量を縮小させることはやむを得ないことだが、好ましい経験をもたらしてくれるような人間関係に注力し、残された人生の未来に向けて自分への投資をすることが大事なのだ。もちろん資金面での安定性やそれを支えてくれる人の存在も大切だ。
この章のまとめの文として、「(老いれば)それなりにつらいこともあるし、失望を味わうこともある……しかし、そのような年齢になる頃には、人生のつらさよりも楽しさに目が向くようになっている」とカーステンセン氏の言葉を置いている。
柳原公民館から連絡があり、「歌と健康 合唱基礎講座」という教養講座(成人学校)の参加者が既定人数に達し成立したそうだ。私が講師を担当するのだが、上の文にあるように、参加してくれた人にとって、人生のよきまとめに向かえるハピネスカーブを味わえるものにしたいと思う。自分への投資は、まず日々の活動が楽しめることだと思う。