(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の7月10日です。)
前回は脳の老化のサインについてふれた。「良いとされているものを疑う」というと、何かたくさん敵を作りそうでいやだが、要するにものごとを慎重にというか、いろいろな角度から見ることだと言える。「その根拠や背景は何か。」「反対の意見はないか。」「誰に対しても効果があるのか」などと、広く深く考えることだ。
中野信子氏は、別なコラムで「関心を持ち続けていること。学ぶ材料は身近にたくさんある。」と言っていた。私もそう思う。先ほどまで片付けをしながら見ていたのは、「やりすぎ教育」というテレビ番組だ。私の専門でもあり一緒に考えさせられた。子どもを責め「あなたのために言っているのよ」とか「これをのがしたらもう人生おしまい」とか「あなたなんか産まなければ良かった」など、なんとひどい親か。そして言った本人がそのことで悩んでいる。
他にも、“サブカルチャー”については今指導している合唱団で取り上げたい関心事だし、歴史や地理のこと、特に地震のこともたくさんこの頃勉強している。
正月以来、能登の地震のニュースで持ちきりだが、YouTubeを検索してみると、2年ぐらい前からかなり地震が頻発していることを扱っているものが出てくる。ニュースで特集を組んでいるものもあった。プレートテクトニクスについては、私は大学で自然地理学科の研究室にいたので知っていたし、それを取り上げ始めた時代、1970年岩波書店発行の「弧状列島」という本も持っている。しかし、能登の地震についてこれほど最近ニュースになっていたのは知らなかった。やはり「関心を持ち続けること」が大切なのだ。
ともかく役に立ちそうなこと、興味のあることは見逃さないように録画してよく見ている。ドラマを見るよりはるかに多い。面白いし、仕事の手を止めて見てしまう。中野氏の言うように身近に学ぶ材料はたくさんあるのだ。問題は関心を持ち続ける人だけそれにふれられるということだと思う。
先日、しなのきでコンサートがあり、知り合いの男声カルテットが歌っているのを聴いてきた。水戸黄門の主題歌「♪人生楽ありゃ苦もあるさ〜」を聞いていて、歌を味わうより、「戦後我々は人と競い合い結果を出すことに追われてきた人生だったなあ」とか「でも今は、“らしさ”と向き合い、自分はどんな人間・人生であるべきかと問うようになったのだなあ」とか、社会学的なことに考えが飛んでしまう。その方が脳を若く保つことになるのだろうとは思う。