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仕事と余暇のトレードオフ

(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、7月20日です。)

 人生100年時代の行動戦略について考えている。第3章では、その三つの大事なポイントの一つ「物語」について扱っている。「人生に意味を与える自分のストーリーを紡ぐ」「そのために可能な限り有効な判断を下すにはどうしたら良いか」を考えてきた。

 人は日々の生活を送る中で「現在」に気を取られて有効な判断をくだせないことがある。それは仕事の面で特に言えるのではないか。特に「仕事と余暇のトレードオフ(両立できない関係性)」に対処してこなかったのが我々戦後世代だった気がする。高度成長期という波に乗ってモーレツ社員という言葉が当たり前に使われていた。

 岡谷小で教頭になった時、私の好きな“研究校”だったこともあり張り切っていた。全職員が帰る真夜中まで学校を守った。職員の負担が重くならないよう私の仕事も増やした。それで頑張りすぎたのか7月に首が固まって横を向けなくなってしまった。これはやばいと思った私は、住宅に一番近そうなマッサージ師さんを見つけて通った。盲目のお婆さんだったが心配してよく揉んでくれた。通常のコースの2倍近くやってくれたかもしれない。

 こんな命に関わることをしていてはいけないと思った私は、水曜日を「定時退勤日」と宣言し職員にも伝えて、マッサージに通ったり諏訪湖の近くにあった温泉に行くようにした。それでも他の日は、夜の10時、11時は当たり前、研究公開の近い時は、朝明るくなってから住宅に帰ったこともあった。私が帰る時、もう早起き野球の人が来て練習を始めていたことがあったのは忘れられない。

 そんな仕事に関する「トンネリング」状態を当たり前として過ごしていたのだ。特にそれが辛いとは思っていなかったが、今振り返るとそんな自分を“すごい教員”として讃えて満足していた面があったのかもしれない。5年間も続けて単身赴任だったこともあり、家族との触れ合いは本当にわずかで、二人の娘が一番可愛い盛りに一緒に過ごせなかったことがもう取り戻せないのは本当に残念なことだと思っている。