· 

物語〜自分のストーリを紡ぐ

(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは7月10日です。※最近演奏会や地域行事の準備に追われ休みがちになっています。すみません。)

 人間としての可能性を開花させる3つの要素「物語」「探索」「関係」について触れた。

 今日は「物語」について考えよう。人は誰しも他にはない自分だけの人生を生きている。もし誰かの言うままに生きているとしてもそれが「自分の選択した人生」ということだ。自分の人生の主人公として毎日次の一歩を選択しているのだ。

 「私はどのような仕事に就くのか」「そのために、どのようなスキルが必要になるのか」など誰しも選択している。「他の人との関わりに何を求めるのか」「そのために自分は何を心がける必要があるのか」など、自分の人生のストーリーを「紡ぐ」のだ。

 そんなことを考えていたら、以前にこのブログで扱ったことのある平田オリザの小説を思い浮かべた。映画化もされている「幕が上がる」という物語だ。演劇に取り組む高校生が、その活動の目指す意味や進学や自身の未来等の悩みを見つめていくストーリーだ。

 その若者が「銀河鉄道の夜」の舞台を通して心の大きな扉を開け世界が開ける部分を紹介しよう。(抜粋)

 この舞台には「等身大の高校生」は一人も登場しない。たぶん、そんな人は、どこにもいないから。現実の世界にも、きっと、いや絶対いないから。

 進路の悩みや、家族のこと、いじめの話も一つも出てこない。

 こっちはもちろん、現実世界にはあることだけど、やっぱり私たちの、少なくとも、今の私の現実ではない。

 私にとっては、この一年、演劇をやってきて、とにかくいい芝居を創るために悩んだり、苦しんだり、友だちと泣いたり笑ったり喜んだりしたことの方が、よっぽど、よっぽど現実だ。この舞台の方が現実だ。

 そうだ!思い出した。高校2年生の時の滝田先生の現代文は、夏目漱石の『三四郎』を一学期かけて読むという授業だった。

 「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より…、日本より頭の中の方が広いでしょう」

 私たちは、舞台の上でなら、どこまででも行ける。どこまででも行ける切符を持っている。私たちの頭の中は、銀河と同じ大きさだ。

 でも、私たちは、それでもやっぱり、宇宙の端にはたどり着けない。私たちはどこまでも、どこまでも行けるけど、宇宙の端にはたどり着けない。

 どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ。その不安だけが現実だ。誰か、他人が作ったちっぽけな「現実」なんて、私たちの現実じゃない。(以上)

 自分の人生を、誰か他人が作った不安で囲ってしまっていないだろうか。3歳から5歳児のころ目を輝かせていた純粋な思いは自分の心の中では無限に膨らませていいのだ。

 平田オリザさんは、全日本合唱連盟の発行している「ハーモニー」という雑誌のインタビューで、「必要なのは小さな成功体験を積み重ねること」と言っている。このブログの「人生戦略」のテーマに直結する考えだと思うのでいつか丁寧に扱おう。