(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは7月10日です。)
第2章「私たちの開花」に入ろう。前回までで人生100年時代というポジティブな話題が、その裏にとても難しい問題を抱えていることを書いてきた。そのリアルで現実的なことをなんとか解決しなければいけないし、それを解決できるのも人間だけなのだ。
以前は、きちんと働いてさえいれば仕事を失うことなどないと思っていたし、決められた年数きちんと働いていれば退職後は潤沢な年金をもらえると思っていた。そのようにのんびりと老後を過ごすということが難しくなっている。
社会の前提が崩れて、人生の「錨」」が失われる状態、人々がいわば漂流状態に置かれるようになっていると本では書いている。私は10年前、社会教育主事資格を取るために大学で講義を受けたが、最後の論文で「人生は羅針盤のない航海を進む状態になってくる」と書いた。どこへどのように向かうかわからないが、人々は知恵を働かせて力を合わせていこうという趣旨の結論に結びつけたのだ。しかし「錨を失った漂流状態」とは、まるで難破するのが当たり前的な表現でひどいものだ。そのような宙ぶらりんな状態を人類学者は「リナミリティ」と呼ぶそうだ。過去の確実性が失われ、足場が失ったように感じているのだ。
先日のニュースで、長野県の寿命の問題が扱われた時、長野県は若者の自殺率が高いということを知った。何か進むべき方向を見失って漂流状態で、宙ぶらりん(リナミリティ)を感じているような気がしてならない。ここで詳しい説明はしないが、自殺の原因として最近増えているのが、10歳代は家庭問題、20歳代は勤務の問題だ。身近な自分の置かれた社会で生きづらさを感じているのだろう。