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人口学的遷移

(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、7月10日です。)

 夏休み、お盆は思いのほか落ち着かない日々だった。ブログも続けて休んでしまった。地区の行事がコロナ禍で止まっていたので再開するにあたって手間取るものが多かった。私は学校に勤めていた頃、視聴覚の係を長く経験していたので、音響関係の仕事でだいぶ貢献できた。

 この後、敬老会、運動会、文化祭など多くの行事が続いていく。敬老会は70歳以上が招待者になるのだが、それを計画している役員がほとんど70歳以上の人なのだがいいのだろうか。これも日本の人口構成が急速に変化しているのに、以前のままの社会を変えようとしていない一例なのだろう。

 ちなみに私は「敬老の日」に関して調べてみたが、祝日としてスタートした時は65歳以上を高齢者として招待する該当者と考えていたようだ。今65歳の人に「おじいさん」などと呼んだら怒られてしまう。

 前回、日本やインド・中国などを例に人口の変化を話題にした。経済の進展、それに関わって教育レベルの変化、医療や福祉の変化などいろいろな状況の変化によって、社会の人口構成に極めて大きな影響を及ぼしている。その変化を「人口学的遷移」と読んでいる。国が経済的に発展するとその「人口学的遷移」が起きて、出生率と死亡率の両方が下落し始める。つまり家族ごとの子供が減る反面、大勢が高齢まで生きる社会になっていくということだ。高齢者が敬老会を計画し進行する状況になるのだ。

 ある国での「人口学的遷移」がどのくらい早く進むかは、それぞれの国の経済成長のスピードと広がりによって決まるという。所得水準が上がり、栄養状態・教育水準・医療水準が上がる。これらの要素が出生率を下げ、寿命を伸ばす要因となるのだ。

 私が幼児であった1955年から大学生になる1972年の間、日本経済は年平均9%のペースで成長し続けた。そして急速に「人口学的遷移」が進んだのだ。そしてそれは今世界的にみられる現象となっている。あと数年で65歳以上の人の割合が5歳未満の人の割合を追い越すのだ。これは人類史上初めてのことなのだ。私の人生はそう考えると大きな社会の転換期を生きてきたことになる。