(このブログは、東洋経済新報社刊「LIFE SHIFT2」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、7月10日です。)
昨日は私の余命のことに触れたが、そもそもそれはこれまでのデータに基づいて各国の政府が予想を立てているものだ。医療等で老いを改善するテクノロジーが進歩する中で、その予測を見直さざるを得ないのだ。
本の34ページにはイギリスの国家統計局のデータが載っている。「平均寿命の予測と実際」というグラフだ。1971年の予測から2012年の予測まで折れ線グラフで表されているが、年代が進むにつれて平均寿命が長くなるように修正されてきている。科学や医療の進歩を予想するのは難しく、その時点でのデータに基づいて考えているからだ。
では、そういったテクノロジーの進化を加味した上昇のペースについてはどのように判断していけばいいのだろう。
一部の専門家によれば、人間の平均寿命はすでに天井に達していて、糖尿病や肥満、いろいろなウイルスなどによってむしろこれからは平均寿命が短くなるという説もある。
逆に科学者の間では、未来の平均寿命の上昇に楽観的な見方も強まっている。多くの病気を老化の産物と位置づけ、老化の原因を探る研究が活発になってきている。老化のプロセスを減速させたり、逆転させたりする道が開けるのではないかと考える。中には「寿命回避速度」への到達を予測する人もいる。それは、「毎年平均寿命が1年以上伸びるようになるということが実現すれば、人類は不死の世界に突入する」ということだ。つまり、一つ歳をとるごとに寿命も1年伸びるということだ。
ともかく「平均余命」というのは政府の統計専門家がこれまでの平均寿命の上昇ペースを判断して決めているのだが、それが過小評価されているのかもしれない。政府のどこかに長生きする人が増えると働き方や年金等、根本的な部分で政策の変更を余儀なくされることへの不安があるのかもしれない。
今、日本はベストプラクティス平均寿命のトップの位置にいるのだから、世界が日本に注目しているのは当然だろう。実際昨日調べた政府の関係機関の研究に、「何歳まで働くか」とか「年金支給を遅らせたり段階的に上昇させたら」といった提案があった。遠い未来のことではない。数年のうちにどんどん更新していかなくてはならない案件なのだ。