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生涯少年のような人でした

(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の12月12日です。)

 先日私の尊敬する人として牧野富太郎を取り上げたが、彼はまさに「没頭」することで植物学を極めた人だ。それは、世間の言葉に振り回されることなく、純粋に植物を、そしてその研究する日々を少年のように愛したからだろう。

 同じように、私が大好きなC.W .ニコルも「生涯少年のような人でした」と言われるそうだ。イギリスで生まれ、北極に憧れ、日本に行くことを夢見た人生。人と自然のあるべき姿を求め続け、黒姫にアファンの森をつくり、あのチャールズ国王も皇太子の時に訪れた。そして私たちの郷土であるこの北信の地で2020年4月亡くなった。信濃毎日新聞社刊の「森の赤鬼」は彼の生涯をわかりやすくまとめてくれている。私も以前から尊敬している人なので一気に読み切った。

 彼の人生はその素敵な森のような平和なものではなかった。時には、地域や環境を守るために命の危険にさらされたこともある。自然環境を守るために議論どころかどなりこんで言い争いになったこともあった。でも、そんな敵対した相手とも生涯共に環境を守る仲間となった例がたくさんある。それは、彼の中にある純粋な思いが相手の心を惹きつけたのだろう。相手の都合、自分の都合に振り回されず、何が大切なのか、見失ってはいけないものは何のか少年のように純粋な思いで向き合ったのだ。誰しもそんな彼に共感し憧れたのだろう。

 彼は、そのアファンの森の中の「マザーツリー」と呼び親しんだ大樹の根元に眠る。そこに置かれたメモリーストーンに次のような遺言の一節が刻まれている。

「どうか、ひとときここに腰をおろし、森と風に耳をかたむけてほしい。なにものにもとらわれず、心を開いていれば、きっと囁きが聞こえるだろう・・・よく来てくれた、と。」

 これがまさにこのブログでたどり着いた大切なこととひびきあう言葉だろう。「マインドフルネス」とは、世間の雑念に惑わず、今置かれた自分に無心で向き合うこと。それをニコルは守り通したのだ。もちろん彼も精神的に苦しい時もあっただろうが、現実の背景にある厳しさの真実を見つめ、守るべきものは何なのか見失わないことで、多くの人にたくさんの大切なものを残してくれたのだ。

「脳科学は人格を変えられるか」の本の第1章に書いてあるシェークスピアの言葉に戻ってこのブログテーマ「脳科学と人格」を終わりにしよう。半年かかったが私にとっても良い学びとなった。

「物事には良いも悪いもない。それを決めるのは当人の考え一つだ」(シェークスピア、「ハムレット」第2幕第2場より)