(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは昨年の12月12日です。)
「幸福になれる三つの要素」の三つ目に挙げられているのは、「長期的な視野で人生に意義を見いだすことだ」とされています。ただこれについては具体的な内容は紹介されていない。
先日紹介した「まちかどの保健室」の白澤先生は、活動を立ち上げる時参加したセミナーで、自身の計画を立てたが、指導者から10年後はどうしますかといった返しがあったようだ。私も趣味起業をと考え、この研究室とブログを立ち上げたが、特に長い視点での計画は立てていない。よく国や行政が立てるような5年計画といったものを作る必要があるのかもしれないが、何かシニア世代には重い感じがする。もっと純粋に好きなことに取り組んで、その中から楽しく生きている実感を見出せたらそれで良い気がしてしまう。合唱団や公民館講座で指導をしているが、研究室を立ち上げ、自分の日々に学びの場を設けたことで、それらの指導に奥行きができた気がする。
そんなことを考えていたら、この本の次の項は「完全に没頭したゾーンに入る」だった。私はそれで良い気がする。計画に縛られるより、5歳児のように素直に夢中になれることに時間を忘れて取り組めたら素晴らしい。以前紹介した葛飾北斎も、70歳の時に、自分は80歳ではこんなことがしたい、90歳になったらこんなふうになっているだろうなどと語っていたそうだが、それは10年計画というようなものではなく、今真剣に楽しく取り組んでいることの延長線にある夢なのだと思う。
本に書かれている「長期的な視野で人生に意義を見いだす」というのはそんな素朴で純粋なもので良い気がする。私は中学生の時、尊敬する人としてあげた牧野富太郎の朝ドラを見ているが、彼はそんな5歳児の頃、植物の魅力に惹かれ、生涯をそれに賭けた人物だ。「没頭」できる何かを持てるということが、「人生に意義を見出している」ということなのだ。そんな彼が残した言葉に、「何んでもこうしようと思っている考えは、大小となく軽重となく、いずれも信条である」というのがある。5歳児の心で自分の信条を大切に人生を全うできたらいいなと思う。