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意識を集中するマインドフルネス

(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の12月12日です。)

 前回のブログで牧野富太郎を取り上げたが、彼のように「一つのことに全神経を集中」できるようなことを持っているだろうか。第6章で心をしずめる訓練について扱っている。それは、「マインドフルネス」と「ラベル付け」だ。まず前者から扱っていこう。

 「マインドフルネス」とは、脳や心を整えるための方法として最近話題になっていて、さまざまな訓練法を紹介しているサイトもある。定義は、「今、この瞬間の心やからだを意識的に感じ、受け入れる状態」とされている。逆に「マインドレスネス」といういろいろな雑念に振り回されて集中できない状態を思い浮かべるとわかりやすいだろう。

 仏教で座禅を組んで瞑想するイメージを思い浮かべてもらうと良いかもしれない。瞑想の一種に「注意集中法」という手法があると本で紹介している。自分の呼吸でもろうそくの炎でも何かの言葉でも良いから、とにかく一つのものごとに意識を集中することで、雑念をはねかえす力を強めるのだ。

 それは、特別な訓練をしてもいいだろうが、身近な何かに集中することができるようすることで身につけていけるように思う。家事でも良い。私は、午前中は食事を作ったり洗い物をしたり一人で家事に専念することが毎日だ。洗い物をしていても、どういう順番に洗えば良いか、水道の太さは鉛筆の太さになっているかなど、結構集中している。集中してくると、次第に心が研ぎ澄まされる感じになり、いい考えが浮かぶことがある。

 頭や心の底には、このブログで扱っている研究内容があって、食事をしていても、家事をしていても、テレビやiPadから伝わる情報から「あっ、これはブログで扱っているサニーブレインの例に使える」などと考えることがよくある。脳科学のことにアンテナを張っている気がする。特にそれを考えているのではなくて作業をしているのだが、フッとその話題に色々なことをつなげて考えてしまう瞬間がある。特に午前中はその頭の中でいろいろな発想が展開することが面白くて、仕事の電話や業者からの電話があると残念な気になる。

 それは、「今に意識を集中する」という定義からは外れて、「いろいろ妄想しているではないか」と言われそうだ。でも逆に何をしていても一つのことにつなげて考えを発展させているので、「自分の好きなことに集中している」と言えるのではないだろうか。

 現役の頃、授業研究に情熱を燃やしていて、風呂に入っていても考えていた。案外リラックスした時は発想が広がる。風呂で良いことを思いついた時、大声を出してメモ用紙と鉛筆を持ってきてもらいメモしたことがある。また、研究テーマを考え続けていて寝てしまって、翌朝ハッと目を覚ました瞬間に、光が当たったような良い言葉が浮かんですぐメモしたことなどがある。私という人間にとっては、「今目の前にある課題について考え込む」こと、それに集中するのがマインドフルネスのような気がする。そういう意味でこのブログへの取り組みは、私の心をしずめる訓練なのかもしれない。自分が難題に出会った時、こういう時「脳科学ではどう判断するべきか」などと考えてしまう。雑念に振り回されるのではなく、集中した思考でありたい。