(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の12月12日です。)
あなたは次の実験の被験者なら、どちらを頭に浮かべますか?
「その医者はエミリーの成長を調べた」という一文がコンピュータ画面に浮かんですぐ消える。続いて、「彼女の○○は、2センチ大きくなっていたのだ。」と一部欠けた文章が現れる。それが消えると次に、「身長」「腫瘍」と、当てはまると思える二つの言葉が現れ、あなたはすぐどちらか選ばなくてはいけない。さて、どちらを選んだでしょうか。
今、ブログを読んだ人はゆっくり判断できるので状況が違うと思うが、この実験では、悲観的な考えの傾向の強い人は、「彼女の腫瘍は2センチ大きくなっていたのだ」と考える比率が高い結果になる。
このような日常の判断で雨天脳(レイニーブレイン)の人は、無意識に悲観的なことを思い浮かべやすい。例えば、二人で何かをしていた時、相手がふっと薄ら笑いを浮かべたらどう思うだろう。仲良しの気心の知れた人なら、「どうしたの、なんかいいことあった?」などと聞くだろうが、そんな関係にない人だったら、何か馬鹿にされたとか、見下されているような不安になることがある。
この頃見たドラマでもそんな場面があった。母親に置いていかれ、父と二人暮らしで育ち、父の後を継いで花火師になった主人公が、若い女性に「自分のために花火を上げて欲しい」と依頼される。やや抑うつ状態だった彼はいろいろ悩むが、次第にその気になって精一杯の花火を打ち上げる。ところが、彼女は一番いいところで「フッ」と薄ら笑いをする。その花火師は、一生懸命やったのになぜ感動してくれず馬鹿にしたような態度を取るのかと心が揺れるのだ。
もしかしたら相手は、ふと別なことを思い浮かべて微笑んだのかも知れない。よくある例は、一生懸命彼のために料理を作った時、彼が「最高!」と褒めてくれればいいが、「なかなかいいよ」とか「まあまあだね」と言って薄ら笑いをされたら腹が立つだろう。でも彼は自分ではけっこう褒めて微笑んだつもりでいるのかも知れない。相手はどう受け止めるか教えて、彼氏を教育してあげよう。
また話が脱線してしまった。上の実験のようなネガティヴな受け止めが病的なレベルの人への治療について本では紹介されている。(続く)