(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の12月12日です。)
脳の柔軟性について本では「恐怖の回路」の高い学習能力について扱っている。その実験をまず紹介しよう。
一匹のラットを実験用の部屋に入れ飼育する。この環境に慣れたら、特定の物音など恐怖とは無関係の状況を与える。ラットは特に大きな反応は示さない。次の段階で、その音が鳴るたびに軽い電気ショックを足に与える。つまり音と恐怖の刺激を一緒に与える。するとラットはフリージング(すくみ)反応を示す。その同時に与える刺激を何回か繰り返す。次第にラットは、はじめは特に反応しなかった音だけでもフリージング反応を示す。ある音への恐怖が条件づけられたのだ。これに似たようなことは人間でも起きる。怖い交通事故などを身近に経験した人は、しばらくは車の往来の激しいところは緊張して歩けないように。
この実験のような恐怖の条件付けが完了して、その効果が永続するわけではない。その特定の音が電気ショック無しで繰り返し続けられれば、次第にラットは恐怖反応を示さなくなる。ただ、それは完全に消去されたわけではなく、他の反応がその上に上書きされているだけで、また音と電気ショックが再開されると、その記憶が呼び出され、すぐに恐怖反応を示すのだという。
以前紹介したが、戦争を経験した少女が全く違う環境で過ごすようになっているのに、車のボンというバックファイアー音に驚いて地面に伏してしまったように、恐怖の記憶は心の奥にしまいこまれているだけなのだ。日本だけでなく世界中にお祭りで怖い格好をした大人が、わざと幼児を脅かして泣かせて面白がっている風習があるが、これは悪いことをしないように教え込む一つの学習と言えるだろう。脳の恐怖の回路を使って、怖いものに近づいたり悪いことをするとひどい目にあうと感覚的に教えているのだ。昔の「根性を叩き直す」式の部活動指導はそれを間違った形で利用しているように思える。
人間の進化の中で、この恐怖の回路の学習能力は他のものに優先する。古くからある恐怖の回路と大脳皮質の新しい脳組織が結びつき、レイニーブレイン(雨天脳)がつくられたことで、人間は学習能力を非常に進化させたのだ。この優先する回路がその人の世界観や信条に大きな役割を果たしていることは間違い無いだろう。たとえば、親が自分の子に、大人になったら厳しい社会で生き残れないなどと恐怖を与えることで、勉強に向かわせようとすることが、その子の心を閉じさせていることにつながっていないか心配になる。この恐怖の回路についてもう少し見ていこう。