(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の12月12日です。)
タクシー運転手や音楽家の脳を例に挙げて、必要な脳の部分が大きくなる例を説明した。同じようなことが、障害を持った人の脳でも起きていることが扱われている。
よく知られているのは、「目が見えない人は聴覚が鋭い」ということだ。そういう人の大脳皮質を調べると、“視覚野”と呼ばれる部分が、ふつうは視覚情報だけに反応するはずなのに、聴覚的な刺激にも反応していることが明らかになっている。空いている脳の部分を、他の感覚を処理したり活動をするために利用するのだ。
以前見たテレビで、親がおらず施設に預けられた両足のない子どものことを扱った番組を思い出した。その施設では、歩けるようになった子どもたちは靴を買ってもらえるのだが、その子は足がないので買ってもらえない。うらやましくて両手を使って逆立ちする姿勢で歩くことに挑戦し続け、ついに靴を手に入れたのだが、その子の脳を調べた結果、手を動かす部分はもちろん発達していたが、本来足を動かすにに使われる脳の部分も発達していたという。これも同じことだろう。
脳は新しい何かに常に反応し続け、頭の中にあるニューロンの複雑なネットワークや神経繊維の経路は、絶え間なく適合し再配列するのだ。逆に言うと、新しい経験で脳を刺激してやらないと固定化し、簡単には変化しなくなるのだ。私も学び続け、歌い続け、家事も人任せにせず頑張ろうと思う。もちろん、ブログも飲み会があったり、忙しい仕事に追われない限り頑張る。しかし、今週は仕事が多かった。年度末で、三つの活動の役員会や飲み会があったのだが、全て責任あるポストなので、資料を作るなどして参加させてもらっている。疲れた。無理は禁物。気をつけよう。