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恐怖の回路の反応性と過去の出来事

(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の12月12日です。)

 突然の危機対応で、落ち着いて取り組めた経験を思い出して書いたが、それについて本には次のように書いてある。

「恐怖の回路は危機への対処をうながすように設計されている。だが、その反応性は人によってさまざまだ。危険を感じるや即反応し、それが長い間持続する人もいれば、非常事態が起きてからやっと反応するような回路をもつ、のんびり落ち着いた気性の人もいる。こうした差異は、それぞれの人生で起きた出来事と、それぞれの遺伝子の構成からもたらされる。この二つの要因がたがいに微妙に作用しあううち、個々の性格や特徴は形成されていくのだ。」

 これが、第3章のまとめだ。遺伝子のことはまた別な章で扱うことになるので置いておこう。「過去の出来事」と聞いて、自分の経験を思い返した時、かなり大きな要素になっているなと思うことがある。

 小学校6年生のとき長野市へ引っ越してきて、それから中学にかけて、私は松代群発地震を経験している。住んでいた貸家が何度も揺れ、いつの間にか、家全体が南側に向けてやや傾斜してきた。自分の感覚がおかしいのかと思って、ビー玉を転がしたら確かにやや傾いていた。(変な思い出だが)体育で膝を曲げない伸膝前転を練習した時、家でその傾きを利用してやればできるのではと考え、やってみた。すると学校でやるよりはるかにやりやすかったので、かなり傾いていたのだろう。ちなみに当時住んでいたのは、善光寺の北西の方の上松滝で、その辺りは断層線が近くに通っているのだ。

 思春期にかかる成長の大きな節目にその群発地震を経験し、「今のは震度いくつくらいかな」とか、揺れの種類にも関心を持てた。なぜかその後、大人になってから何度も地震を経験しているが、とても冷静に対応できていると思う。やはり過去の経験が恐怖の回路の形成に影響しているのだろう。私の場合は、ほどほどの揺れが頻繁に起こったから、慣れてしまいそれで済んでいるのだが、大勢の人が亡くなるような大震災にいきなり出会った子どもたちは、一生その恐怖から抜けられないことになってしまうこともあるだろう。