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高位の経路と低位の経路

(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートしたのは、12月12日です。)

 恐怖の回路について考えてきた。危機が目の前に迫った時、一刻の猶予も許されないので、その情報は近道の「低位の回路」を通って扁桃体に直接伝えられる。それを受けて一番活性化されるのは「島皮質(とうひしつ)」と呼ばれるところで、身を守るために恐怖感を引き起こす役目を果たしている。つまり、危険という情報を「恐ろしい」という意識に変換するのだ。銀行強盗に銃を向けられた行員が、その銃口しか記憶に残らず、後で犯人の特徴を聞かれても何も覚えていないのはまさにその典型的な反応の例だ。

 もう一つの「高位の回路」は、視覚等で得た情報が扁桃体に向かう前に、その分析をするためにいったん大脳皮質に送られる。その情報を高次で理性的な領域において綿密に調べることが可能になる。たとえば急に出くわしたヘビの映像がほんもののヘビなのか、似たようなまがいものだったり木の枝に過ぎないかなどを判断しようとする。この高位の回路もけっしてスピードが遅いわけではない。ただ、扁桃体から大脳皮質に向かう経路の数は逆方向の経路よりずっと多く、扁桃体という原始的な脳組織がもっと高次な大脳皮質に対して、過剰なほど大きな力を振るえるのだという。

 いつか暗くなった校舎を歩いていたら、廊下の曲がり角で先輩の女性教師からふざけて「わっ」と脅かされたことがある。その時自分は、息を呑んだが声は出さず、腕で防御の姿勢をして一歩避けたように思う。人によっては、きゃーっと叫んで座り込んでしまう例が多いのではないだろうか。その先生は、すごいねと褒めてくれた。「まったくもう!」ではあるが。

 危機にあった時、緊急対応の「低位の回路」だけでなく「高位の回路」も作動するように日頃から訓練することができるのだろうか。この辺りも、さらに掘り下げていきたいことである。「脳科学は人格を変えられるか」というのは、「性格を変える」というよりも、社会生活を送る上で、うまく脳を働かせることができるようにすることなのかな。