(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートしたのは、昨年の12月12日です。)
今日から、第3章「恐怖を感じない女」に入ろう。「恐怖」という話題に入るので、自分にとってその経験は何かと考えてみた。幸いなことに本当に震え上がったり体が硬直してしまうような経験は思い出せない。ありがたいことだ。逆に、平然と対応できた思い出はいくつもある。
昨日、区の役員会があって、防火管理者から非常時対応について説明があった。消火器の使い方の説明されたが、その時私は、学校の火災を初期段階で一人で消した経験が2度あるのを思い出した。
1度目は、新卒1年目。PTA作業で中庭で掃除をしていたのだが、何か騒ぐ声が聞こえて見上げると、校舎の反対側から煙が上がっているのが見えた。慌てて近くの自分の教室の廊下にあった消化器をつかんで走り、校舎の南側に立っていた大きな木が燃えているのを消した。昔の消火器なので、逆さにしてゆすり、液を化学反応させてから吹き出させた。火に向けて噴射していたら、近くの親からもっと火の上から当ててとアドバイスがあった。消防団経験者なのだろう。見事に消し拍手してもらった。どうも蜂の巣があったのを見つけた人が焼いて始末しようとして失敗したらしい。校舎に燃え移るような大ごとにならなくて良かった。
後の慰労会で親たちからえらく褒められた。一番近くにいたベテランの先生は、小さな消火器で火に噴射できずあたふたしていたところへ若者が駆けつけあっという間に消したのだ。新米教員だった私は、自分の教室から一番近い消火器は自分の担当だと考え、方法も事前に理解していたし、いざという時は、自分が駆けつけるとイメージトレーニングをしていたのだ。それから退職まで転任する度にどこに消火器があるか記憶することを忘れなかった。
そんな日常の心準備を再び試されたのは、40歳代後半、中学校で学年主任をしていたときだ。体調の悪い生徒が保健室で休んでいたので様子を見に行った帰り、部屋を出ると煙を認知。その校舎のハズレにあった昇降口に置いてあったゴミ箱が燃えて火が壁を焦がし、煙が天井まで届いていた。急いで保健室の先生に緊急事態の連絡をし、その校舎の廊下の中央付近に置いてあった消火器を持って消火しに戻った。校舎はかなり煙が充満したが、天井が焦げるぐらいで消火することができた。消防車が来たがすでに消えていたので、校舎は濡れずに済んだ。もちろん警察から事情聴取は受けた。
なぜパニックにならなかったかと思い返せば、新米教員で、会議で安全防災について係の指示があった時、新米だからちゃんと覚えておこうと思って、いざという時の自分の行動をシミュレーションしておいたことと、それを実行できた経験が自信になって、冷静に対応する態度が育っていたのだと思う。
もう一つそれが生かされたのが、城山小学校で安全防災の係主任だった時のある事件の思い出だ。長くなったのでまた来週。