(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の12月12日です。興味のある方はそちらからご覧ください。)
先週から発作性めまい症が10ヶ月ぶりぐらいで起き、ブログは休みました。他にも正月には、特定の味を感じられなくなり、いつもお世話になっている耳鼻咽喉科・めまい科にかかりました。耳の半規管がおかしくなるめまい発作が起きたり、副鼻腔の不調で痰が溜まったりと続けてお世話になっているのに、「今度は口の中か」と素人考えで悩んでいました。しかし、医院に行ってみると鼻や耳と同じような薬の処方でした。耳も鼻も口も同じような薬?と思いました。「これで1ヶ月様子を見て、その結果によって亜鉛の検査などもしてみましょう」とのお医者さんの言葉でした。
そのすぐ後、NHKの「チコちゃんに叱られる」で、目と鼻を塞いでジュースを飲み、何のジュースか当てる実験をしているのを見ました。何と、味を認識できなくなるのです。私は、味覚障害に関係あるという亜鉛の補充のために、牡蠣やナッツを食べてで解決しようと思っていたのですが、鼻の神経を改善することも大事な治療だったようです。
人がものごとを認識するには、いろいろな部分が関わり合って判断しているのだなと改めて思わされました。前回のブログで「認知バイアス」について扱いましたが、その偏り(バイアス)がどのようにして生じるのかを考えないといけないですね。人は、目や耳や鼻やいろいろなところから情報の嵐を受け取っています。しかし、人は「何に注目すべきか」を選び取って処理しているのです。これが今日の題名にした「選択的注意」です。それが人によって、また人が置かれた状況によって違いが大きいのは大事なことです。
本では、「耳に聞こえてくるものに心を集中してみましょう」と提案しています。今私がやってみると、エアコンの風の音、サーキュレーターの風の音、そして、時折車が前の道を通り過ぎる音が聞こえてきました。しかし、仕事をしている時は、そんな音は聞こえてきません。いや、聞こえているかもしれないけど、脳に必要な情報として届いていないのでしょう。
逆に、仕事に集中できない時は、やたらに周りから聞こえてくる些細な音が気になってイライラすることもあります。時折テレビをつけたまま友達と会話している時、気になるニュースが流れてくるとそちらに気がとられ、「こっちの話、聞いていないでしょ」と叱られることがあります。話を理解していないのに生返事をしているのがいけないのですが。
緊急度の高いものに注意を集中させ、残りは認識から遮断する脳の習性は、極めて重要なのです。脳科学の世界では男性の方がその傾向が強いようで、私も仕事に集中する時は、音楽をかけたりしません。逆に女性はYouTubeを見ながら家事をやるといったことが多いらしいですが、これは性別よりも仕事の中身や困難度などにもよるのでしょう。
脳は、その遮断する能力がないと、情報に押しつぶされてしまい、身動き取れなくなる。アフェクティブ・マインドセット(心の姿勢)の一番土台の部分にはこの「選択的注意」が存在し、注目するものと無視するものを無意識のうちに瞬時に分けてくれているのだ。
私は寝つきが悪い時、「3分で眠れる静かな音楽」というのをyoutubeで試してみたことがあるが、かえって目が冴えてダメだった。音楽に集中してしまうのだろうか。逆に勉強になりそうな話を聞いていたらいつの間にか電気をつけたまま寝ていたことは何度もあった。脳が、話を聞くことより睡眠を選択したのだろう。