(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは昨年の12月12日です。興味のある人はそちらからご覧ください。)
人によって大きな差はあるが、誰しもうれしいことは実現したいし、危ないことや嫌なことは避けたい。その報奨と脅威を選択的に認識する能力は人間にはなくてはならない根源的な資質だと本では説明している。そしてそれは生まれた瞬間から持っていると。
例に挙げてあるのは、ガラス板の上にのせられた乳幼児の実験だ。固いガラス板の半分には下に何も置かれていない。手前半分には、ものが置かれ深さはごく浅く見える。手前に置かれた赤ん坊は、うながされても深さが認識しにくい半分の方へは行こうとしない。そちら側から母親が手招きしても行こうとはしなかった。生まれながらの恐怖心があるからこそ、赤ん坊は落下の危険を回避する能力を持っているのだ。
母親に抱いてもらえるという報奨と、落下するかもしれないという脅威を認識し判断を迫られる。うれしいことを求める欲望も恐怖に打ち勝つことはできないのだ。もちろん固いガラスの上にいれば落ちないと経験的に学んでいけば、進だろうがそれは程度の問題だ。中国のYouTubeで、透明なガラスの板を敷いた吊り橋を渡る映像を見たが、大人でも立って渡るのは至難の業だ。
人によって快楽の引力に強く反応する人もいれば、危険が醸す不安に人一倍反応し、危険からできるだけ遠ざかろうとする人もいる。そのわずかな個人差が繰り返される中で、楽観脳、悲観脳の差が大きくなることはあるだろう。その認識の差と反応する能力が人生の方向性を決め出していく。そのような認識や解釈、対応の仕方などについて脳科学の面から来週はもう少し整理していこう。