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希望と絶望

(このブログは、文藝春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは昨年の12月12日です。興味のある人はそちらからご覧ください。)

 楽観性の計測について前回は私の例で語った。ごく一般的な人の合計点数は15点前後で、「ゆるやかな楽観主義」と判定される。私は教育相談をしているので、他の人にも試してもらったが、中には、4点という人もいた。かなり悲観主義と言える。これ以上低かったら専門家に相談した方が良いのではと思えるレベルかもしれない。どこにその要因があるのかが、これから考えていく重要な問題だ。

 本には、自殺した有名人と、人助けをしたホームレス男性の二つの事例が紹介されている。自殺したのは、ポール・キャッスルという資産家でポロ競技の選手、チャールズ皇太子(今は国王)の友人でもある男。健康上の理由なのか、不況で事業に影響が出ていたのか原因ははっきりしない。おそらく一瞬の悲観と絶望から生きる意味がないと決意してしまったのだろう。

 もう一人は、ポールが命を断つ前の日の夜、冬の凍てつくテムズ川に身を投げた女性の悲鳴を聞き、助け上げたアダン・アボベイカーというホームレス施設で暮らしていた男。必死になって女性を岸まで運んだが、二人とも低体温症で治療を受けてなんとかことなきを得た。アダンは「当たり前のことをしただけだよ。あの女の人に、家族がいるといいのだがね。人生には生きるだけの価値がある。投げ出しちゃいけない。」と語った、

 上に書いた4点の人も、経済的・社会的な視点からはとても良いレベルにいる。ただ、調査の回答を見ると、ものごとが自分に都合よく運ぶだろうと思っていないし、自分の将来にとても悲観的な傾向が見られる。ただ、全てにやる気のない人かというと、自分が大事だと思ったことには「本当にそこまでやるか」というぐらいこだわりを持って頑張る人だ。とすると問題なのは、例えば職場で一番近い関係にある同僚や直属の上司、家庭ならば夫や両親といった一番関わりの強い人たちとの心の姿勢のズレではないだろうか。誰かのために一生懸命やるタイプだからこそ、近い立場の人にそれとチャンネルの違う意見を言われたり、自分の目指すことを否定されたりすることは辛い。納得できない生きかたを強制されていると思えてしまうのだ。

 本では、「褒賞と脅威を見つけ出し、反応する能力が人生観を決める」という説を語っている。自分が認められないとすれば、それに自分が潰されるよりは、諦めて傷つかない道を選ぶということになるのだろう。そこに良い未来は描けない。