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善きも悪きもあるがまま受け入れて

(このブログは、文芸春秋社刊「脳科学は人格を変えられるか」を参考に、私の思うところを書いています。スタートは、昨年の12月12日です。興味のある人はそちらからご覧ください。)

 先週は、「幸運がポジティブな気質に影響される」と書いたので、親世代が読めば自分の子にそんなふうに生きてほしいと思うだろうと考えた。逆にペシミスト(悲観主義者)は、「悪いものごとは、どうやっても起こる。人にはどうすることもできない。」というふうに、問題は個人の力ではどうにもできないもので、けっして消えてなくなったりしない、良いことは自分を素通りして他人にばかり起こるなどと考えがちだ。

 確かに、気質を楽観的な方向に置き換えれば、その人には幸運だけが訪れるなどということはない。誰しも思いがけない困難に向き合うことはある。問題は、その時どのようにそれと向き合うかなのだ。

 楽観主義(オプティミズム)の言葉本来の意味は、“善きものを信じる思い”に近い。「バラ色のメガネをかける」「明るい面ばかりを見る」というイメージは、本来の意味からずれてきているのだ。

 ラテン語の「可能な限りの最善」を意味する「オプティマム」に由来する「オプティミズム」は、ドイツ人の哲学者・数学者ライプニッツが考えた概念だ。それは、「世界を善悪こみであるがままを受け入れ、なおかつ、そこに潜むネガティブなものに屈しない」ということなのだ。自身の問題を解決するために行動を起こす人こそが、真の楽観主義者なのだ。(p26より抜粋)

 本ではその事例として、パーキンソン病の俳優 M・Jフォックスと、アウシェビッツを体験した作家プレーリモ・レーヴィの二人の生き方を紹介している。二人は、運命の手綱を自分で握っていたのだ。自分の生きる先に耐え難い問題が待ち受けていることを知っており、それを自分で創造的に解決する必要があることを現実的に受け止めていた。けれど彼らは、「ものごとは最後にはうまくいく」と信じていた。その分かれ道をどう進むかが気質の違いなのだ。

 親や教師が子どもたちに将来の不安を煽りたてることでがんばらせ、成績だけを評価の対象にするのは間違っている。社会に出てその成績では解決できない困難に遭遇した時、ポキっと壊れやすいネガティブな気質になりやすいのだ。大事なことは、善きも悪きもあるがままに受け入れて、自分らしい良い結果を出せることを信じて進もうとする、つまり「可能な限りの最善」を求めようとする行動を起こす気質を育むことなのだ。