昨日は、混声合唱団エールの発表のことを書いたが、同じ24日に私の合唱活動に長く関わってくれた人の葬儀が近親者だけで行われたと新聞に出た。私の所属する男声合唱団zenの塩澤会長さんだ。先日娘さんに先立たれ、悲しい思いをされているのだろうと思っていたが、天国で再会し、お互いに喜んでおられることを願うばかりだ。
半世紀前、私が大学2年の時、先輩に誘われて長野市民合唱団コールアカデミーに入り、一番若年でありながらバスのパートリーダーを任された。大学の部活動とは違って、人生の先輩に囲まれ、アマチュア合唱とは何かをたくさん教えてもらった。大学の講義と違うのは、本当に生きている、稼いでいる人たちの社会を見る目の鋭さだ。社会教育活動で、合唱を楽しむのはもちろんだが、県の代表と言われるような本物を求めるために何をすべきか、100人を超える大合唱団をどうやって発足させたのか、学ぶことが多かった。
私が、教員になって「人を育てる」という教育の意義を忘れずにいられたのもそのおかげだと思っている。自分より年下の児童・生徒に対して「もっとこうやれ」的に指示ばかりするのではなく、仲間として学び合い、共に良いものを作り上げていくことを大事にできたのは、その経験からだと思う。
塩澤さんは、そういった地域文化を育むことに本気で取り組んでいた。その願いの本物さに感動した仲間を大勢率いていたからこそ、中心的な立場でたくさんのことを実現できたのだろう。
一緒に長野県芸術文化使節団としてウィーン楽友協会大ホールで単独の演奏会を開催した。全国のコンクールに出場して賞をもらった。全国コンクールを長野市で主催した。世界合唱祭(アジアカンタート)を開催し、たくさんの人に喜んでもらえた。思い出のレベルが高い。
私が、解散やむなしの状況だった長野市の児童生徒の合唱団の世話係を引き受けた時、新しい運営に転換するビジョンに賛同し、資金援助をしてくれた。私は、それをバックに東京から講師を呼んでレベルアップを図ったり、地域のやる気のある音楽教師を専属でお願いし支えてもらったりと、教員仲間でほっぺた回しで運営していた時とは大きく変えた。
大勢の子どもたちが集まってくれ、存在感を増す中で、ウィーン楽友協会合唱団の長野公演(全国で3か所のみ)に100人を超える子どもたちを連れて賛助出演することができた。私の教育界での合唱活動の集大成とも言える思い出だ。資金は使うけれど、イベント参加の謝金などで埋め合わせ、ほとんど減らすことなく8年間活動の根っこを支えてくれた。思い切って新しい運営に踏み出せたのも、塩澤さんの支えがあったこそだと思っている。
お別れを悲しむだけでなく、共に関わった大勢の仲間と今後も地域文化の発展に尽くしていきたい。それが塩澤さんが一番喜んでくれることだと思うから。ほんとにありがとうございました。