自然に人の手を加える危険性

 土砂災害について触れてきた。日本人は、基本的に自然との調和を大事にしてきたと思う。長沼も古い記録を見ると度々水害に襲われ、住民の知恵でその被害を最小限にしようとしたり、いざという時どのような対応をするか引き継がれてきた。ただそれが堤防工事等大規模な対策のため、人々の意識から消えていってしまった部分はあるだろう。

 かつては人が住むにはふさわしくないところに大きな道が通り、店や工場・団地ができ、それが被害を受けてしまった。桜並木のある堤防は幅もしっかりして立派な堤防だったと思う。ただ、19号災害の前から私が気になっているのは、古い城跡があった歴史だ。その図面なども見せてもらったり、公民館の歴史探検でその三日月湖跡を探したりなど、情報は伝わってきていた。なぜ城址の遺跡があった歴史の上に真っ直ぐ堤防を重ねたのか。

 19号災害があった時、その原因ではないかと思い浮かんだのは、長沼城を守るための三日月湖跡が、堤防の下になっていたことを聞いたことだ。頑丈な堤防の下に元々沼地のような元池があった。川が勢いを増してくる中で、その軟弱なところが水の力で掘られ、堤防を下から崩したのではないかと思ったのだ。堤防が決壊する前に、堤防の外の方へ水が出てきたということはないのだろうか。太い地下のパイプが水の勢いで掘られ、その上にある堤防の土がどんどん崩れていったことで、堤防決壊につながったのではないだろうかと思ったのだ。

 川は本来、流路を変えて運ばれてきた土砂を堆積してきた。近代になって、人が堤防を作って川の位置を固定してきた。しかし、大水になると元の流路へ溢れてきたり、地盤の弱いところから崩そうとするのだ。長沼も、その三日月湖があったあたりは、鋼板を打ち込むなどして、削られない対策をしておくべきではなかったのかと、災害のあった頃考えた。調査をしたわけではないので、あくまで個人的な妄想の段階だが。

 人が自然に手を加える時、そういった各場所での事情を踏まえて、同じやり方では無理なところがないか慎重に計画を進めてほしい。