福祉教育の大切さ

 昨日(11/9)は、長野市ボランティアセンターの運営委員会があった。今回の1番の話題は「福祉教育・ボランティア学習普及校事業」についてだったので、校長経験者の私にとっては、しっかり意見を求められる場だった。

 福祉とは「幸せや豊かさ」を意味する言葉で、社会福祉は、すべての人に最低限の幸福と社会的支援を提供するという理念を表す。福祉教育とはそういったことを学校や社会教育の場で学び合うことだが、学校現場にいた経験から言うと、残念ながらあまり話題になることのない内容だった。

 今の学校は、学力向上や生徒指導が重い責任を持つものの代表で、校内の係分担を決める時は、どうしてもそういったことが優先される。また、専門性の必要な教科や職員をまとめる学年会の組織など十分に考えて配置していく。どうしても福祉教育などの係はその他の運営的な係の一つとしてあとの方で決まることになる。

 もちろん、市内にはそういったことに力を入れて指導する教師もいるし、地域との連携を大事にして親も巻き込んで取り組んだ事例も多い。ただ全体的にはそれを専門とした教師がいるということはほとんどない。教師の免許は教科を中心にとるので、必要な単位の中に福祉に関するものもあるが、あくまでいろいろな学びの中の一つなのだ。

 実際の学校現場では、道徳や総合学習の中で扱うことが多い。しかし、昨日も話題になったが、アイマスク体験とか車椅子体験など、障がい者に寄り添うとか福祉のあり方を知るというよりも、結果として「障がいのある人は大変だと思いました」という感想で終わることが多いのではないかと思う。大事なことは、障がい者も普通に自分の生活をよりよくしようと頑張っていることや、特別な人ではないことや、楽しい生活を共有したいと思っていることを知ることなどだろうと思う。

 私は須坂の中学校で3年間学級担任をしたが、3年生の時、学級経営の発想を変えて、生徒が学級経営に参加する意識が持てるように、グループは単なる生活班ではなく、目的を持った活動をする班にした。自分たちが何を受け持つか班ごとに相談した。「入試対策班」は、朝ドリルを作って皆にやらせたり、受験情報を掲示したりしていた。行事の班は、自分たちでお祭りを準備する地域の大人の会合に参加して、クラスを上げてお祭りで踊った。衣装を工夫したことが認められて仮装大賞をもらったのは良い思い出だ。

 そして「福祉班」もできた。彼らは、地域の福祉活動をしている人たちのところへ出かけて行って相談したようで、「車いすバスケット」を企画した。土曜日に学校の体育館で、地域の車いすバスケットのサークルの人と試合をしたのだが、私は用事があり参加できなかったので、副担任にお願いして見ていないのが残念だ。

 昨日の運営委員会で、学校の福祉教育が「大変だね」ではなく「楽しい」活動であってほしいとか、地域の人との交流でつながりを大事にするようなものであってほしいという話題になった。今思うと、私の担任した生徒たちの方が、先生たちの指導よりも大事なところを押さえていたように思う。車いすバスケットをして、「すごい人たちだ」と日記に書いてあった。障害を持った人たちが素敵に頑張っている人と見えて来ることが大事なのだと思う。