町を横切る断層 その2

 自分の卒業した城山小学校から長野高校にかけて歩いた。おとといのブログの続きです。

 城山小学校に勤めていた頃、歩きで七瀬の家に帰る時、大きな道ではなく、人が歩けるだけの急な坂を降り善光寺下の駅まで歩くのが楽しみだった。一昨日、地域探検をする中で、大門、東町、岩石町あたりを歩いたが、妻科からつながる断層の名残りだと思った。学校や城山公民館のある台地は、けっこう硬い岩盤でできているようだが、そこを回るように田町あたりとは一段違う高い面がある。

 長野高校へ自転車で通っていた時、吉田からSBC通りを上がる坂がきつかったし、かえりに権堂まで気持ちよく坂を降りたことを思い出した。長野高校のある上の段と県立大学のある下の段の境目の断層崖を探そうとその坂を上がって行った。途中にお寺があり広い駐車場と墓地があった。その駐車場の縁がかなりはっきりした段差になっており、これが若槻の方へつながる西縁断層の南西の目印だと思った。駐車場から私の勤めていた三輪の方面がよく見渡せた。その崖は、どうも城山の台地を切り通しで流れてくる沢の方につながっているように思えた。もしかしたら、それも地震でずれた割れ目を水が削って来たのかもしれない。それは、延長していくと深田町あたり、善光寺の裏に出るようだ。箱清水や深田町の地名の由来が知りたくなった。おそらく、上松から往生寺にかけての山地から流れて来る雨水が染み込んだものが、城山の硬い岩盤に阻まれて、湧き出て、湿地になっているのだろうと思うが。ただ、最近の地震で善光寺の裏の建物の被害が大きかったのは、断層の延長線からくる影響なのか、地盤の弱さかそのあたりも興味がある。