3つのシフトの3番目の「情熱を傾けられる経験」について自分はどうなんだろう。もちろん教育の世界で昨日の事例のように、子どもたちの素敵な一面に触れ、それを伸ばすことの大切さに気づけたことが、最大の経験だと思う。その裏には、いろいろなことについて単なる知識・方法論ではなく、物事の根底にあるものに触れたい思い、異なるいろいろな社会現象に共通するものを知りたいという願いがあったからだと思う。教え方研究ではなく、子どもと本気で向き合う研究にハマったのだ。
私自身の性格がその背景にありそうだ。中学の時、ドリルの計算練習や漢字練習をするよりも、難しい文章題が好きで、どんなに長い時間をかけても答えを出すまで取り組んだ。予習も単なる明日の授業の準備というよりも、世界史などは百科事典で次から次へと関連語句を調べ掘り下げることが好きだった。教員になってからも、職員の読み合わせで哲学をやったが、それにハマると図書館へ行って関連書籍を読んだ。西田幾多郎の哲学選集や小林秀雄全集も持っているし、職員会議の校長の話で、難しくならないよう身近なことにつなげて話した。
趣味の世界でも、中学で先生に言われて始めた合唱は、いきなり部長になり、高校・大学では指揮者になった。一般合唱団でも、一番年下なのにパートリーダーとなり、コンサートマスターもやった。何か興味を持ったことは、本気でやることで他の人に頼りにされるような自分の成長を感じることが嬉しいのだろう。
恋愛も、いろいろな人と付き合いたいというより、好きな人ができるとその人だけに向き合い、全ての面で理解しあって、幸せを見つけたいと本気でぶつかっていく方だったと思う。ただ、初めは相手もそれが一番感動的で愛を感じるだろうが、ともに生活をするようになると重荷を感じるようになることが誰しもある。「これはあなたのために言っている!」ということほど、相手を縛ることはないのだから、今は、本当に仲良くしたいなら、ほどほどの距離感は大事にしないといけないと思っている。
そのことは、社会教育の世界について学ぶようになって、合唱団指導やシニア人生の講義などを受け持つ中で、いろいろな人の生き方があり、「正解」は一つではないと思うようになってきている。自分自身はこれからもいろいろなことに本気で取り組んでいきたいと思うが、そのaboutな面というかほどほどの自由度も大事にしなくては嫌われてしまうと思う。