リンダ・グラットン著の「ワークシフト」を基にしたブログを始めた時、女史と同じように私も、10年後20年後の未来を想定して考えるべきだと思った。ただあまり先のことは意味が薄れる感じがしたので、干支で次の72歳、84歳を思い浮かべるのが面白いと思っている。
自分の「連続スペシャリスト」は何だろうと思ったとき、思い出すのは目を輝かせて歌を追求してくれた子どもたちの姿だ。それが子どもたちの心に素敵な思い出として残ったのを感じさせられた象徴的な出来事がある。
附属松本小で2年から4年まで音楽を教えた女の子が、私の転任で別れてから3年目、中学1年生になっていた。父の仕事の関係だろうか長野市に転居したらしい。長野市内の中学校合唱部に入って、コンクールで私を見かけたようで、大会終了後、私を探して舞台裏までやってきた。楽屋廊下で私を見かけたその子は、「今日は」ではなく、いきなり「先生!」と叫ぶと走って私に抱きついてきた。面食らっている私を見て、後ろについてきた両親が微笑んでいた。
後でその学校の顧問が、「先生だったんですね。あの子からこういう先生はいないかとずっと前から聞かれていたんですよ。」と(やや尊敬のまなざし)教えてくれた。私は小学校の学級担任をしていたので、中学校の音楽の先生には分からなかったのだろう。
学級担任で特に可愛がられたわけでなく、音楽授業と合唱部だけの付き合いの子にそれだけ慕ってもらえたことはもちろん嬉しく、良い思い出として大事にしてくれていたのだと思うとありがたかった。その後いくつかの学校を回ったが、子どもたちの持っている「宝物」(すてきな個性)に出会うことが多くなった。でも、よく考えてみると、それ以前の子もたくさんの「宝物」を持っていたのに、それに気づく私の教師力がまだ足りなかっただけなのだと思っている。
教師の道を離れても、目の前にいる人の良いところを感じる心は、お互いのために大事なことだと思う。私にとっての「連続スペシャリスト」の道は、そこに大きな基礎があるように思う。いろいろなことに挑戦していくが、出会いを大事にし、いろいろな人から学ぶことを大事にしていこう。