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働き方の未来と選択 その17

 AK君は、その後も頑張り、私のことを大好きになってくれた。教育実習生への公開授業では、授業開始チャイムがなるまで、愛唱曲を歌って時間を過ごすが、AK君は全身全霊を傾けて歌い、張り切りすぎたのか酸欠を起こして倒れて保健室へ運ばれてしまった。本当にクラスをあげて張り切って学ぶ姿は頼り甲斐があった。

 全国から参観者が来る公開授業もこのクラスでやった。また、音楽会の合唱も表現の工夫を自分たちで問いあいレベルの高いものになった。担任の国語の先生は指揮がうまくできなくて困っていた。子どもたちがいろいろ注文をつけていたが、なかなかうまくいかない時、クラスでも最も音楽性の高いKMさんが「先生、いいよ。私たちがちゃんと歌うから、普通に手を振っていて!」と、温かい?言葉でまとめた。4年生とは思えないすごい子たちだった。

 転勤で私が学校を去ることになった時、AK君が「僕は来年合唱部に入って県大会に行って、先生に会いたい」と言い、本当に来てくれたのは忘れられない思い出だ。

 自分が本当にやりたいことは何で、そのために解決しなければいけないことは何か。そして、それを好意的に受け止め、共に追求できる仲間がいることは、本当に大切なことだと気づけたのだと思う。だから自分の欠点も受け入れ、次のステップへ挑戦する意欲も生まれるのだろう。

 「教え方」よりも「その子にとっての学び方」を見つめることが大切なのだ。それ以来、児童生徒と向き合う私の姿勢が変わった。研究が大好きになった。後輩の教師たちを指導する立場になってからは、児童生徒を理解し、それぞれが求めようとしていることやその追求の歩みをしっかり受け止めることの大切さを伝えた。その姿勢が認められたのか、再び、附属学校の管理職として赴任することができた。

 松本附属小へ行く前の学校でもそれなりに子どもたちと向き合うことを大事にしてきたつもりだが、今思うと力不足な教師だったなと思う。特に音楽専科を受け持った城山小や昭和小の子どもたちには、一人前の顔をして指導をしていて申し訳なかったと思う。