それぞれの人が「働くことの意味」を求める時代になったきた。勤務時間や収入だけでなく、自分の意欲や個性を充分に活かせたり、社会に貢献できているというような充実感を求めるようになってきている。
私が若い頃は、「三種の神器」をなぞらえた喧伝で家電が多くの家庭に普及された。私が子ども時代は、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫、青春時代はカラーテレビ・クーラー・自動車が頭文字をとって「3C」などと呼ばれて買うのが当たり前になり、ローンを組んで買ったりした。電子レンジなど、いろいろな機能がついていることを売りにしていて高額な商品を買うのが正しい感じを持っていた。しかし、買った母が、そんな機能を知らず、また、知っていていも、取り扱いの面倒さを理由に単に冷めたものを温めるだけにしていた。そんな大量消費の時代は大きく変わろうとしている。
生活の豊かさや幸せ感は、単にどんな物を持っているかだけで判断しなくなってきている。家電もあれもこれも機能を持っているという宣伝より、この機械にしかないというような特性や、使い勝手の良さ、さらには、その機械をうまく活用するノウハウ本まで当たり前に付いてくる。
夕方の番組を見ているとニュースというより、地域の名品、特にラーメンやパンなどの個性的なお店を紹介するものがやたらに多い。良いものをたくさん安く作って売るのではなく、ここでしか手に入らない個性あるものを求めるニーズが多いのだろう。
娘が始めた練り切りの体験工房も、予約できる人数は限られていて、二、三人の仲間がいくつかやってくるだけの小さなものだが、全国版のテレビ番組で取り上げられた。有名店で美味しい練り切りを味わうのではなく、自分が仲間と作った個性的な作品を写真に取り、Instagramに上げるなどして思い出も記録していきたいのだ。
働くことも上のようなことと同じで、AIやオートメーション化で人手はいらなくなってきている。むしろ人間でなくてはならない、個性的で工夫されたもの、相手のニーズに細く対応したものに対応することが重要になってきているのだと思う。ロボットと戦うのではなく、ロボットがより力を発揮できるようなアイデアを生み出す仕事が大事になってきているのだろう。