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働き方の未来と選択 その3

 転職、独立起業、フリーランスなど、昔と違って一つの仕事にほぼ一生をかける状況が変わってきている。「ワークシフト」(リンダ・グラットン著)では、「伝統的なキャリアと仕事の形態が崩れ、それに代わり、もっと大きな自由と機会を手にできる可能性を生み出せる新しい働き方が広がり始めている」と書かれている。

 私は、教育委員会での嘱託職員としての仕事を5年で終わらせて趣味起業を図った人間なので、その風や新しい自由を求める気持ちはよくわかる。ただ、年金という生活のベースがあるので良いが、若い人で会社を辞め自分の仕事を起こしていくのは覚悟がいることだろう。重要なことは「恩恵と引き換えに何を諦める覚悟があるか」ということだ。

 しかし、「これからの未来だから“諦める”という選択を求められる」のではなく、これまでもたくさんあったと思う。本の中で紹介されているのは、ある会社の人事部門が映像制作会社に依頼して作ってもらったインタビュービデオについてだ。過重労働・仕事中毒瀬戸際の男性の子供たちへのインタビューで、子供たちは、父親が家を空けることが多く家で「透明人間化」していることを語っていたそうだ。

 また、ヨーロッパのある会社幹部を対象に行った「仕事と私生活の調査」では、女性幹部の「諦め」が明らかになった。その調査によると、男性幹部のほぼ100%が子供を持っていたのに対して、子供がいる女性幹部は60%に満たなかった。子供がいる女性幹部でも、半分以上は一人だけしか子供がいなかった。その幹部たちに話を聞くと、「自分が子供を持たずに生きることになるとは思っていなかった」と語る人が少なくなく、寂しさを口にする人もいた。

 上のような状況をわかっていて意識的に選択した人はごく少数だった。今やっている仕事がそういう結果へつながることを知っていてその道を選んだということではないのだ。そのことで得るものは何で、諦めるものは何かを正確に計算できていなかったのだ。

 他人事ではない。私も土日も含めてほとんど家にいなかった。教頭の時は、真夜中どころか明け方まで学校にいて、首が動かせなくなり焦ってマッサージに行った。副校長の時には、倒れて救急車で運ばれ、障害者手帳をもらう身になった。しかし、今やっていることのために、得るものは何で、諦めるものは何かなどと考えたことはなかった。