「自己再生のコミュニティ(支えと安らぎの人間関係)」について、ワークシフト(プレジデント社刊)では、次のように表現している。
(引用P309)「この種の人的ネットワークは、バーチャル空間の人間関係ではないという点でビッグアイデア・クラウドと異なり、自分と同様の専門技能の持ち主で構成されるわけではないという点でボッセとも異なる。」「自己再生のコミュニティのメンバーとは、現実の世界で頻繁に会い、一緒に食事をしたり、冗談を言って笑い合ったり、プライベートなことを語り合ったりして、くつろいで時間を過ごす。生活の質を高め、心の幸福を感じるために、このような人間関係が重要になる。」
そっくり引用したが、これからの社会にとって、特に、我々のようなシニア世代にとってなるほどなと心に落ちる。しかし、「実際にそのような人間関係が当たり前のように手に入る時代が終わり、意識的に自己再生のコミュニティを築く必要が増すのだ。」とまとめられても、どうしたらいいのだろうと悩んでしまう。まさに、「最も難しく、しかし最も興味深い一面だ。」(※「 」内は引用文)の部分が、このブログで扱う重要なテーマでもある。
心理学や脳科学を研究することが好きだが、実際の生活の中でどれだけそれを活かしているかということを忘れてはいけない。「自己再生」が教育相談をする上でとても大事だ。相手の最も悲しくて悩んでいるところを掴み、何とかしてそこに温かい光が差し込むようなドアを開けることができるかが問われる。
恋人同士は仲が良く、互いに甘えたり甘えられたりして居心地の良さを求め合う。しかし、自分だけが我慢して相手のわがままを受け入れることはできないだろう。ちょっとしたことで諍いになることもある。
親子も互いに愛情を持って過ごそうとする。でも、相手の悩み事に寄り添う気持ちはありながらも、どうしても互いの将来のことなどを考えて余分な一言を言ってしまう。親が手を貸しすぎても子どもにプレッシャーになるし、その逆はもちろん寂しい思いをさせる。
「支えと安らぎ」という言葉は本当にすばらしいと思う。どんなわがままを言っても相手が許し支えてくれるから、自分も相手に喜んでもらえるような存在になりたいと次のステップに進む気持ちが開けたらいいと思う。ますます甘え合うのでは、互いが潰れる事になりかねない。本当の「安らぎ」が何か見えてくることで、「支え」がどうあれば良いかも見えてくる気がする。私たちにとって「本当の安らぎ」とは何だろう。