これからの時代に重要と言われる三つの人的ネットワークの3番目は「自己再生のコミュニティー(支えと安らぎの人間関係)」だ。
コロナ禍で学生たちはインターネットでの講義を受け、去年などはほとんど大学に行かずに単位を取ることが当然のようになった例もある。仕事も在宅で行い、地方へ移住する人もいるとよくニュースで扱われた。バーチャル空間で活動することが多くなり、私たちが参加するコミュニティーがことごとくオンライン上のものになりかねない。
その代償として、人々は孤独を味わう可能性がある。昔、人々は地域社会や家族の親密な関係を通じて、支えと安らぎを得ていた。未来の世界でそういう人間関係が当たり前のものではなくなるというようなことが本には書かれている。
しかし、私はそこで一度立ち止まって自分の周りをよく見直すべきだと思う。一昨日、女子中学生が包丁で人を傷つける事件があった。なぜそこに至ったのだろう。親から大変なストレスを受け、荒れていたわけではないらしい。受験がらみのプレッシャーを受けて自分の気持ちをコントロールできなくなったことはありそうだが、それがどういう過程で事件に至ったのだろう。
現代に関わらず人間は多くの悩みを抱えてきた。その悩みの内容にもよるが、家族や地域の人、友人などが支えてくれて、解決はしないまでも気持ちを立て直すことができた経験を多くの人がしているだろう。そういった人間関係が薄れていくとしたら、その原因はよく見極めないといけない。単に「ネット社会だから希薄になった」だけでいいのだろうか。
いろいろな情報が飛び込んでくる中で、単に「家族と仲良く」ではいられない焦りが心の中に膨らんでいることがあるのではないか。ニュースでいじめが話題になれば、親は気になって、子どもにあれこれ周りに気を使って生きるように声をかけるだろう。受験や就職が人生を大きく左右すると言われれば、「お前のために」という親の立場であれこれ世話を焼く事になるだろう。
そういったプレッシャーをかけるようなことをするなと言いたいわけではない。このブログで向き合いたいのは「支えと安らぎ」をどう守っていくかということだ。いつかブログで心理学を扱った例だが、たとえば夫とうまくいかなくなって離婚を考えた時、家族に相談するのはかえって悩みを増すというか、複雑にさせると書いた。家族は、単に息子や娘を思いやる以上に、他の人の気持ち、周りの声、自分の立場など、いろいろと気になってしまうことがあるのだ。簡単に「お前の好きなようにしなさい」とは言わない。そして「支えと安らぎ」よりも解決できない悩みを膨らめる事になりやすいのだ。“自己再生のコミュニティー”とは何だろう。