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連続スペシャリストへの道 その8

 一昨日のブログに書いた、「楽しさとやりがいを見い出せる要素と仕事を切り離す」ということは確かに、意義ある人生を送ることから離れていく可能性が強い。以前に書いた「好きなことを大事に」の時も思ったのだが、仕事に楽しさややりがいとか、好きなことを見出すのは、単に仕事の内容・質だけではないだろうということだ。

 以前、何かの本で読んだのかと思うのだが、ある女性が仕事を転々と移る人生のことだ。何か面白くなかったり、自分には向いていないのではなど思ったりして、長続きせずに仕事を変えていった。結局選ぶ自由度も狭くなり、スーパーのレジ打ちになった。そして、一体自分は何をしてきたのだろうと振り返り、もう後が無い、なんとか立て直そうとその仕事にかけるようにした。どうしたら良い仕事ができるか考え、レジの打ち方などを工夫したり、お客さんへの対応を丁寧にするようになった。次第にお客さんの顔を覚え、温かい言葉もかけられるようになったそうだ。ある日店長がレジが混んでいる列の人にそちらの方が空いているのでどうぞと声をかけたら、「私はあの人にやってもらいたいの」と言われたそうだ。そして、レジ担当者の主任となり、新人の指導などもするようになったそうだ。

 いかにも学校の道徳授業で使うような話で、読む人によってはそんな世の中簡単ではないよと言われそうだ。でも、私も保護者対応なので苦労した事例はいくつも持っているが、自分ではそれが苦労ではあるけれど、避けたいとは思わなかった。逆に感謝されたり、困っていた職員から信頼を得たりなど良い結果で終わる体験もし、自分はこういうことが得意なのかもなどと思ったこともある。自分の中で、何か前向きな気持ちを保ち、方策をいろいろ研究して、その道のスペシャリストになる人生の歩みをしてきたように思う。

 困っている教員に言ったことがある。「『このクラスにあの子がいなかったら、学級経営が楽になるかな』なんて思ってはいけないよ。そういう人は、新しい学年を持ったり、学校が変わった時に、もっと手のかかる子に出会う例が多いように思う。逆にそんな手のかかる子としっかり向き合うと、指導力が磨かれ、どんなクラスを持ってもいい出会いができるようになるからね。もしかしたらそんな手のかかる子ほど、いい先生に会いたくて待っているんだと思えるといいな。」

 もう一度サルトルの言葉で締めくくろう。「仕事とは意義を見出すプロセスである」