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本物の創造者、いや破壊者

 リンダグラットン著の「ワークシフト」をヒントに「選びとる未来」というテーマでブログを連載している。昨日は、「漫然と迎える未来」か「主体的に築く未来」かについて書いた。そんな「未来」「新しい時代を築く」ということを考えていたら、今日読んだ本が面白かった。原田マハの「楽園のカンヴァス」に出てくるピカソとアンリ・ルソーの関わりの場面だ。

 19世紀終わりから20世紀初頭にかけて、パリに出てきた大勢の画家たちが新しい美術の方向を模索していた時代だ。当時の人には理解しにくいような変革を提案し続けたピカソは、「美とは何か」「美術とは何か」と悩み続けていた。「巧い絵」を描く画家はごまんといた。人物であれ静物であれ風景であれ、目の前にある対象物をそっくりそのままカンヴァスに写し取った絵だけが「巧い絵」ではなくなっていたのだ。ピカソは放浪の詩人アルチュール・ランボーの詩を読んで激しく心を動かされる。「…ある夜、オレは『美』を膝の上に座らせた……つれないやつだと思った……オレは彼女をののしった……。」この一節がピカソの思いとあまりにも一致していたという。

 そんな時出会ったアンリ・ルソーの絵に驚かされる。いつもは平然と他の画家の作品を本人の眼の前で批判するピカソが、帰り道、独り言のように、でも一緒にいた友に聞こえるようにはっきり言ったそうだ。「すげえな、あの人は、ほんものの創造者だ。いや、破壊者だ」と。

 アンリ・ルソーは、正確なデッサンも印象派の技巧も全く知らず、ごく普通の色を生のまま使い、はっきりした輪郭線をもって描いた。木の葉も、芝生の草も、一枚ずつていねいに描いた。目の肥えた人には不器用でぎこちなく見えたのだろう。当時の絵の愛好家からは相手にされなかった。しかし、彼の絵には、強くて率直で詩的な力が宿っていた。そうして時代が変わる中で、素朴で無邪気なものを人々は争って求めるようになったのだ。(参考:エルンスト・H・ゴンブリッチ著「美術の物語」)

 若い芸術家たちが、職業画家への訓練が救いの道とならないばかりか、救いの可能性を閉ざす原因となりかねないことを知ることになる。自分らしい世界、これまでにはない独創的な絵の価値を提案することを求められるようになったのだ。

 実は、そんな時代に生きたマルク・シャガールが私は好きで、今座っているデスクの前の壁にも飾ってある。何か落ち着く。夢に引き込まれるような色合いの変化ややわらかい構図と動き、何よりも愛を感じる。大切な人と添い寝するような姿もよく描かれていて、人が忘れてはいけない暖かさを思う。

 「漫然と迎える未来」ではないものを求め続けた創造者は、時には「破壊者」と思われることがあるのだろう。「こうでなくてはいけないのだ」という美術界の重鎮から相手にされなかった売れない画家たちの信念に心惹かれる。