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友人関係の占める時間の重さ

 人生100年時代、未来の人間関係について考えてきた。主に夫婦とか親子、家族について扱ってきた。しかし、昔は人生のかなりの部分を占めていた「出産・子育ての時間」ではない時間が多くなる。なので「友だちづき合いが生活のかなりの部分を占めてくる」可能性が強い。核家族化も進み、世代間の社会的分断が進む中で、同世代の仲間と共同生活をしたり、遊びに行ったりといったケースが多くなる。昔だったら家族に求めたような温かみのある関係を友だちとの間に築きたいと思っているという。

 昨日の最後に、「身内の付き合いの難しさ」という言葉を使ってしまったが、友人関係との違いは、「選択の自由」があるということだろうと思う。気心が知れた仲間を選び、他人であるがゆえにある線を越えない配慮、共にいる時間や過ごす内容も互いに相談の上で決めていく。本にはさまざまな調査の結果が書いてあるが、年齢的に均質な人的ネットワークが多くなり、互いのアイデンティティが強化されると書かれている。逆に問題となるのは、世代間で「我々対彼ら」的な、固定観念と偏見が社会の分断を強め、生きにくい世の中にしていく可能性があることだという。

 だが人生が長くなり、マルチステージ的な働き方が一般的になれば、異なる年齢層の人たちが同じ経験をする機会が生まれるということを見過ごしてはいけない。私は教員を退職した時、大学の特別集中講義を受けて、社会教育主事資格を取った。その時の受講生は、性別も年齢も経験もさまざまで、グループ討議や調査活動などを仲間でするのは新鮮だった。

 また、年齢が違うからこそ、若い人の相談に、シニア世代の人が自分の悩んだ時代を思い返しながら寄り添えば、温かい言葉をかけられるようにも思う。逆に年齢が高いのに新しいことに挑戦しようとする人を若い世代が支えてやることで、お荷物扱いされる高齢者を減らすことができる。くれぐれもシニア世代は、「俺の頃はこうだったのに」とか「そんなのは俺には無理だ」的な発言はやめてほしい。

 世代を超えた友情・親愛の情を育むためには、「こうでなくてはいけない」的な固定観念を捨て、新しい自分、新しい人間関係を求め続けていく努力を忘れないことだろう。そしてそれが新鮮な思いで満たされ楽しいと思えることが一番だ。第9章「未来の人間関係 私生活はこう変わる」はその一言にまとめてみた。