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味噌汁の冷めない距離

 連休でしばらくブログを休みました。今は、東洋経済新報社発行の「ライフシフト 100年時代の人生戦略」をもとに、私なりに変化の激しいこの時代を生きるために大切な視点を整理して発信していきたいと思い取り組んでいます。

 ライフシフト第9章「未来の人間関係 私生活はこう変わる」について扱って来ました。急速に家族の構成員が少なくなり、核家族化と言われ、子どもたちが収入を得るようになると、独立していくのが当たり前になって来ました。しかし、経済面での関係のあり方、役割の分担の仕方など、解決する努力が必要なものが多いのは誰しも思うところでしょう。普通に生活できる時は良くても、収入が途絶えたり、育児に親の手だけでは足りない困難が発生したり、介護も高齢化社会と言われるこれからは一段と対応が難しくなります。

 多世代共生だった時代は、役割などは伝統的にほぼ決まっており、子どもにも年齢に応じた家の仕事があった。しかし、現在の年代ごとに隔離される社会では多世代で協力し合うには、これまでとは別の倫理観や責任感のもと、役割や付き合い方のルールが必要になる。70、80歳代の人が昔のような考えで子や孫の世代と関わるのは、互いの「当たり前さ」が壊され、嫌悪感を抱くようになってしまう。

 「味噌汁の冷めない距離」という言葉があるが、調べてみると日本で生まれたのではなく、「スープの冷めない距離」として1960年代にオーストリアで提唱されたとか、1940年代にイギリスで提唱されたなどと諸説あるようです。先日、デンマークでは家族の平均人数が2.1人と紹介したが、親世代、子世代が独立して近くに居を構え、何かと交流はあるようだ。まさに「スープの冷めない距離」らしい。

 困った時だけ助け合うのは、程よい距離で理解を深め合い素晴らしい生活を生み出すように思えるが、それなりに工夫は必要だ。同居していれば、孫に対してある意味厳しさも持って世話できるが、たまにしか会わないと、嫌われたくないので甘い対応になることはある。親はそれが嫌で悩んだり、距離を離そうとする。互いに多世代共生のありがたさとそのためのルールを理解し合うことが大事だが、これが難しい。それは身内だから。