生き物を育てる畜産農家や患者さん優先のお医者さんには勤務時間などというものは意味のない言葉かもしれない。まあ私も教員の頃は一年中夜中まで働いてはいたけれど。
工場労働のように作業の画一化、時間割に沿った労働のシステム化が進む中で、勤務時間と余暇時間、仕事と家庭の分離が進んだ。夜や週末、年末年始や夏休みなど、まとまった余暇を手に入れられるようになった。それと共にレジャー産業が発達し、日本も高度成長期には、そんな余暇利用の欲求に応えるため、映画館やコンサートホール、遊園地なども飛躍的に伸びた。
テレビを見たり、スポーツ観戦、買い物、レストランで食事、さらには、豪華な旅行など多くの時間が余暇活動に費やされることになった。しかし、これらはある意味、時間を消費する活動だ。労働の合間に手に入れた時間を楽しく過ごして気分の高揚を図るのはある意味必要なことだろう。まあ、時にはずっと運転して夜中に家に戻り、ヘトヘトなまま翌日から仕事へ行くサラリーマンが多かった事実もあるが。
平均寿命が伸び、多くのステージを経験するようになった現在、その余暇をどのように利用するかも変わってきている。我が家の次女が練り切りの体験工房を開設し、インスタグラムでその記録を発信しているが、コロナ禍にも関わらず人気がある。北鎌倉の人気のある地だが、単に観光地を回るだけでなく、そういった体験を楽しむ要望が増えているらしい。
その次女自身も会社勤めをしていた時に、いろいろな文化体験をして周り、練り切りをした時に、本当に時間を忘れて集中できたと言っていた。「無になれる」と哲学的なことを言っていて感心したが、何か求め続けていたものに出会った気分だったのだろう。練り切りをもっと深めたいのに、学べるようなところが関東付近にはなく、それでは自分がそんな場を作ろうと考え、会社を辞めて起業したそうだ。
余暇をレクリエーション(娯楽)ではなく、リ・クリエーション(再創造)に使うようになるということを娘の姿が表してくれている。知識やスキル、人間関係など無形資産が大切で、それを充実させることに人々は多くの時間をかけるようになってきている。それは、単なる消費ではなくて「投資」なのだ。