労働時間が少なくなったからといって自由に使える時間が増えるとは限らない。仕事も勉強もしていない時間が全て余暇時間ということはできないからだ。通勤や通学に時間をかなり使う例もある。家に帰ったからといって家事や宿題をする時間は余暇とは考えられないだろう。
ライフシフトでは、「時間を自由に使える」という点が重んじられると書いているが、「自由に使える時間を余暇時間と定義するのは正確さを欠く」とも言っている。
もちろん「自由」という言葉はやや語弊があるが、「自分で選択できる」ということは絶対重要だ。そして、その選んだ活動を「楽しい」と感じられるかも考えなければいけない。
アメリカのある調査結果で、人々が特に楽しいと感じる活動の上位を占めるのは、セックス、スポーツ、釣り、アートと音楽、バーやラウンジでの社交、子どもとの遊び、子どもとの会話と読み聞かせ、睡眠、教会通い、映画鑑賞などだと紹介されている。
逆に下位には、仕事、赤ちゃんの世話、宿題、副業、料理と食事、子どもの世話、通勤、雑用、家の修繕、洗濯、子どもの病気への対応などが並ぶそうだ。
私はこれまでに紹介したが、合唱を楽しむ時間やその仲間と居酒屋で一杯が楽しい。評判の良くない「料理」も自分の好きなものを作るのに挑戦するのは面白い。ただ、家庭の主婦がたびたび「夕飯は何がいいかなあ、いやだなあ。」という言葉もよく聞く。同じ料理でも状況によって違うのだ。合唱だって楽しいが、集団を運営していくには思いのほか面倒だなと思うことも多い。子どもの世話も、読み聞かせや会話は楽しいことの上位に入っているが、子どもの世話という括りで下位にも入っている。
上のことからすると、「自分で選択できる」ことだけでなく「楽しい」という要素をどう組み合わせるかが大事なように思う。その時間を自分の辛い時間にしない工夫をしている人もいる。料理も、作るのが嫌なのではなくて、メニューを考えたり家族の気持ちを考えたりするのがストレスになることはあるが、自分の好きなメニューを友達に教えるのに熱心な人もいる。退職して自由に時間が使えると言って、毎日テレビを見ていても、3日が限度だろう。余暇とは何かもう少し掘り下げてみよう。