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選択する自由と時間(続き)

 昨日(3月10日)の続きです。

 教頭時代は、毎年研究公開をする学校だったので、夜中まで仕事をする職員が多かった。男性は家庭持ちが多かったのでそれなりに早く帰って行ったが、女性はほとんどが独身で、家でやっても仕事は同じなので遅くまで残ってやっていた。私も一緒に残って最後の一人が帰るまで付き合った。

 校長になると遅くまでいると教頭に迷惑をかけるので早く帰ることにしたが、最後の学校では、夜中までやってしまった。退職2年前が全国の体育研究会の公開校、退職の年は、長野市が音楽の全国の研究公開担当で、私が運営面の責任者だった。3年連続で全国大会に携わるという重い学校勤務だった。早く帰るわけにいかないので、教頭先生には、事情を説明して、私が残っていても気にせず早く帰るようにお願いした。ちょうど新任教員が二人いたが、毎日遅くまでやっていて一番年上の校長と一番若い二人が同志の気分だった。ある日、二人揃って校長室を覗き「お先に失礼します」と声をかけてくれたのが懐かしい。音楽の運営スタッフのサブだった先生は信大の先生だったが、ある日夜中の3時に電話をかけてきて、最初の一言が「やっぱりいた!」だった。

 教員の時間感覚はそんな感じだった。この頃はそんなことでは教員のなり手がいなくなると言われて、業務削減や手当の見直しが騒がれているが、当然のことだろう。しかし、ある意味、時間の使い方が本人の意思に任されていて、仕事も分担でやるというよりも皆が一国一城の主なのだ。市の教育委員会に嘱託で務めた時、学校現場が懐かしく思えたのは、その自分らしさを時間の使い方にも表せたことかもしれない。(続く)