「YAHOOS(ヤフーズ)」(Young Adults Holding OptiOnS)=「選択肢を維持し続けるヤングアダルトたち」について語ってきた。マルチステージ、価値の多様化の時代にあって、自分の選択の可能性を探索し続ける若者は、旧来の3ステージ的な発想では間違っているように見られてしまう。
そんなことを考えていたら、今日、テレビのドキュメント番組で、お寺に生まれた若者のことが扱われていた。子どもの頃から、8・9割の人が自分の出自を知ると「後を継ぐのか?」と聞いたそうだ。それが嫌で、トラウマになったかどうかは私にはわからないが、ともかく後を継ぐ自分の姿を認められなかったようだ。番組の途中から見たので、もし内容の誤解があったら許してほしいが、修行者のような姿で旅をしていた。まさにエクスプローラーの状態だ。ただ心配なのは、一昨日話題にした「ありうる自己像」が浮かばず彷徨い続けているように見える。多様な価値観の中で、可能性を広く探し続けているのなら良いが、お寺を継いでいる自分の姿に対する否定的なイメージが邪魔をして、自分のアイデンティティーを見つけられずにいるのかもしれない。
心理学の視点で見ると、「アイデンティティクライシス」というが、青年期に自分という存在に不安というか危機が訪れる若者が多い。それを解決しアイデンティティの確立につながればいいのだが、いつまでも迷っている「モラトリアム型」や、「アイデンティティ拡散型」という無力感や自己嫌悪感、焦燥感に陥る若者もいる。そんな悩む若者としてたびたび出会うのは、開業医や寺社などの跡継ぎが多かった。
今日の若者が、そういうことではなくて、より深く人生を見つめ、選択肢を維持し続けるヤングアダルトであることを願いたい。「人生は自分発見の旅」だと私は思っている。ありうる自己像、「こんな仕事なら時間を忘れ、辛いことでも乗り越えられそう」というような価値ある自分の選択肢に出会えることを願いたい。