自己のやりたいことを探索する移行期間について話題が進んできた。43年間の勤め人生活を辞めることになった自分のことを振り返ってみたい。学校現場にいたときは、自分の好きな研究や多くの教員・子どもたちとの生活が充実していたので楽しかった。教育委員会に嘱託職員として勤めるようになって、決められた仕事をきちんとこなすことが中心で、ビジョンをえがくことや、自身の学びを活かす場面は本当に限られてきた。時期が来れば辞めることはできるが、その次に「元○◯」という言葉は使いたくなかった。昨日のブログに書いた「過去に生きるのが老人、未来に生きるのが若者」という言葉が、今思うとその頃の私の中に渦巻いていたのだと思う。過去に生きるのではなく、ささやかな仕事でいいから、自分で働く場、社会的に自分自身の存在する公の場所が欲しかったのだ。それは自分の気持ちを奮い立たせることでもあったと思う。
私の場合は退職というはっきりした節目があったからわかりやすいが、これからのマルチステージを過ごす世代にとっては、何度かそんな移行期間を経験するだろう。成人期心理のところで触れた女性の40代後半はまさにそんな大きな節目だろう。人生の正午を過ぎて、子どもたちが手元を離れ自分の世界へ旅立っていく。人生の午後をこれからどう生きていくのが良いのだろう。このままで良いのか。若い頃やり残したことはないか。夫との生活だけで残された半世紀近い日を過ごしていくのか。
移行のプロセスはズレを感じることから始まる。ありうる自己像が現状の自分の姿より魅力的に見え始めることが出発点になるのだ。私が役所の事務机に座り、ほぼ一日中パソコンと向き合ってデータ整理を行っていた。でもたびたび頭の中で、好きな研究や人育ての仕事に取り組んで顔が輝いている自分を思い浮かべて、自由に歩き回りたいと思ったことがそのずれだ。ありうる自己像の探索が開始され、自分にできることを並べ立て、道筋を描いてみる。ズレを感じるとは、素敵な自分を思い浮かべることから始まるのだ。