「ライフシフト〜人生100年時代の人生戦略」第6章「選択肢の多様化」で、エクスプローラーとインディペンデント・ディレクターについて触れてきたがまとめをしよう。
家族のことを書くのはいろいろ誤解も招きやすいが、この章について考えているとどうしても娘のことを思い浮かべてしまう。小さい頃から本当に我が家の子だろうかと思うくらい親の想像を超えた姿を見せてくれてきた。母親の関係でピアノは小さい頃からやっていた。姉がピアノをやっていると横で勝手に弾いて興味を示し、自分で習うようになってからは、母親が口を挟むと「遊びでやっているからいいの!」と指導を拒否。母親の教えている子が帰ると、楽譜もないのに同じ曲を耳で聴いた記憶で弾くし、教室に通うようになってからは、発表会でまだ低学年なのに、自分で作曲した曲を演奏。3年生の頃誕生日プレゼントでリズムで遊ぶゲームを貰うと、テレビの画面に映される映像に合わせて足のステップを踏むゲームをなんと二人分(本当は二人で競い合う)を一人でやって高得点を取るなど、ハマるとすごい結果を出した。自慢話のようになるといけないのでこのぐらいするが挑戦心はすごかった。
特徴があると思ったのは、例えば新体操は入った仲間の中で新人賞的なものを取ったのにすぐやめた。先生の指示に従って言われたことをやるのが性格にあわなかったのだろう。高校への進学では、女優になると言って、「私の行きたい学校は長野にはない」と、東京のパフォーマンスコースという教育課程(演劇ができる)のある高校へ行った。1年生でオーディションで何度も選ばれるなど結果は出したが、夜遅くまで先生の指示で縛られるのはやはり嫌で、体調をおかしくしたり、高校生としては学校のルールを超えて練習させられ、駅から女性警察官に付き添われてアパートに帰るなど、親としても不安だった。1年の終わりにオーストラリア留学に行き、前から好きだった英語を学ぶコースへ変更した。大学も国際コースへ進み、バイトした資金で、何カ国も海外に出かけた。卒業し東証一部上場企業へ就職。半年見習い期間が経って所属の課が決まると、営業で成績を伸ばし、2月3月ごろから課のトップを取ったり、その半年後には部でもMVPを取るなど活躍した。
しかし3年目の途中で会社を辞めて起業すると言ってきた。母親は驚いたが、私はいつかこのブログで書いたように「命の次に大切なものは選択する自由」という言葉を思い浮かべ、娘の選んだことを大事にしたらと助言した。
これでほとんど説明はいらないだろうが、自分がやってみたいことにはとことんハマり、でも、自分の選択肢が出せないようなことからは離れ、自分の持ち味を活かせることを探し続け、実現しようとする姿はまさにライフシフトに登場するジェーンのようだった。
エクスプローラーとは旅をする人だが、それは海外に行くということではなくて、いろいろな人生の経験を積み上げ、自身を見つめ続けることのように思う。インディペンデント・プロデューサーとは、自身を見つめた積み重ねの中から自分に相性の良いものを見つけ道を切り開いていくことだと娘の姿を見ていて思う。私もライフシフトなど人生戦略を考える日々を過ごしているのでそれを理解できたが、そうでなかったら、親として心配し、「どうして英語の教員免許を取ったのにそれを活用できる職場に行かないのか」とか、「せっかく営業成績が良くて将来を期待されそうなのに会社を辞めて、当てのないことを始めるのだ」と余計なお世話をしていただろう。