エクスプローラー(探検者)について考えている。ライフシフトの本に登場するジェーンの生涯を読み、それを別世界のように感じるシニアが多いだろう。確かに私と同年代のシニアたちはジャックのように3ステージで、自分の選んだ仕事に精一杯取り組み、退職してそれなりに自分の余生を充実させたい思いで過ごしているだろう。では、もうエクスプローラーになれないのか、なる必要はないのかと問うことが大事だ。
これから何年生きるかわからないが、自分が生きた青年期・成人期の20年とはかなり違う激しい変化に対応する20年をこれから過ごす可能性がある。それについていけないから、「なんとなく」「仕方ない」という思いで生きていくよりも、「よーし」「なるほど」「面白そう」と自身を変容させていくことの方が充実できると思う。
「身近な探検者とは?」と考えながら今日は生活していたら、ふと浮かんだのは若い頃の研究授業だ。割と冒険心の強かった私は毎年のように研究授業をした。というか、させられた。20代の頃は、学校で若い者がやるのが当たり前だった。教育技術のような雑誌を読み、ヒントを得たり面白そうなことをやってみた。
豊野で郡全体の大きな研究会の授業者をしたときは、算数の平均についての授業だった。学校で取り組んでいたよもぎ集めを題材にやった。自分なりに工夫して仕組んだつもりだったが、本番はなかなか子どもが動いてくれず、内容の半分も行かないうちに終わってしまった。ダメな結果だった。ところが、その次の(続きの)授業は保護者のための授業参観だったが、とても子どもたちが良い考えを出して盛り上がった。こちらを集まった先生たちに見て欲しかった。俺の考え(授業案)は間違ってなかったと思った。
しかし、今振り返ると、20代の授業も学校の代表で受け持った30代の授業も基本的なところで間違っていたと思う。本番に向けて、自分の新しい世界を子どもたちに押し付けていたように思う。あまり経験のしたことのないゲームをいきなり出して、さあみんなで遊ぼうと言われてもすぐには楽しめないものだ。大勢のお客さんの前で緊張しているのに、経験のない不安な内容を出されて、子どもたちは何をしていいかわからなくなったのだろう。だから、それがわかった次の授業は盛り上がったのだ。
附属にいたときは、音楽の研究授業を何度もやった。基本的に進め方は、子どもたちが自分の表現したい願いを友だちと問い合い、その成果を振り返って学習カードに書く授業だった。私の仕事は、学習カードに書かれているその子の思いやその日の取り組みを読み、良いところを見つけて励ますことや次への方向を助言することだった。子どもたちの心の中にある感性や意欲を引き出すことに専念した。
ある日、いきなり教頭先生が来て、次の時間の授業を参観させてもらっていいかと聞いてきた。名古屋市の教育指導主事たちが松本へ旅行に来て、授業を見たいというのだ。確か4年生の授業だったが、子どもたちはどんどんと自分の考えを出し、二人組で表現を深めていた。参観者たちは感動して帰ってくれたとのことだった。授業指導の専門家たちが20人近くもいきなり来て、特に準備していなかったが、大きな研究大会以上の授業見てもらうことができた。
ライフシフトに戻る。大事なことは、単にいろいろな経験をするだけでなく、その経験について自問することだ。自らの価値観を問い直し、自分のアイデンティティと役割をじっくり考えることだ。長い人生「変身」がつきものだ。本やウェブサイトを読むだけでなく、それが自分にとってどんな意味があるのかを問い直すことだ。過去の探検であっても、自問することで未来の自分が見えてくるのだ。