無形資産の三つのカテゴリー(生産性資産・活力資産・変身資産)がそれぞれ関わり合っていると述べてきたが、それを書いているうちに思い出したのは、私が中学生と立ち上げた重唱コンクールのことだ。
初めて受け持った中学校の合唱部は、6人だけの小さな部だった。しかし、メセナ少年少女合唱団に入っている子も2人いて、能力は高かった。良い結果を味わわせたくて、中信地区でやっていた冬の重唱コンクールに連れていったら、金賞を取ることができた。なぜこの北信地区にはないのだろう、出たい合唱部は結構あるだろうにと思った。新年度になって、市内の中学校の音楽の先生を集めて、須坂のメセナホールを会場に始めてみないかと提案した。しかし、価値は認めたものの誰もやろうとは言ってくれなかった。
翌年、私は決心した。たとえ一人でもやろうと。北信ブロック重唱コンクールを。参加がどのくらいあるかも見通せない中、ホールを予約し、審査員を3人依頼し、計画を進めた。赤字になる場合は自分で背負ってもやろうと思った。
なんと参加団体は確か66チームで、予想以上の反響だった。係はいないので、同じ学校の副顧問の先生や長野市の仲の良かった先生に当日だけでいいからと協力を頼んだ。人手の必要な会場準備や団体誘導、リハーサル室管理等は、合唱部の生徒が受け持ってくれた。自分たちも出演するのに、自分の受け持った係の仕事を良い表情で楽しそうにやっていた。自分たちが中心という意識があったからだろうか。
全ての係案、案内状はもちろん、表彰状なども費用がかかるので自分で作った。無事終わって、審査員の慰労会でよく頑張ったと褒めていただいたが、その時にはもう無理が祟ったのか熱が出ていた。翌日は39度から40度近い熱が出て勤めは休んだ。大学卒業後、病気で医者へ行くために時間年休をとったことはあったが、終日休んだのは初めてだった。さらに熱は引かず、4日間寝込み、関節リューマチの痛みで寝返りも打てず、お医者さんに往診に来てもらったのも初めての経験だった。気が張っていたからわからなかったが、本当に無理をしていたのだと思う。
「生産性資産」といえるコンクール運営のスキル・知識は十分だった。30代初めからNHK学校音楽コンクールを、教員の自主運営で行う「長野県学校合唱大会」を立ち上げたメンバーだったので、経験豊富だった。他の地区の運営を応援にも行っていた。
生徒たちが金賞を取って喜んでいたのをみて、北信の生徒たちにぜひそんな機会を与えたいと思い、一人でもやってやろうという「活力資産」は今思うと危険なほど十分だった。
その経験から、自分が賞を取ることよりも、地域の子どもたちのためによりレベルの高い合唱を楽しめる場を用意してあげたいと思うようになったので、校長になって長野に戻った時、長野市児童合唱団を世話し、長野市芸術館の専属合唱団設営まで活動した。そんな自分の新しい姿を作り出す「変身資産」は、重唱コンクールが地域にとても喜ばれた経験から培われたものだ。そんな活動をいつも多くの仲間が支えてくれた。まさにそれも大事な無形資産だ。
自分が願うことを実現させたいと活動する日々の中で、自身のアイデンティティーが形作られてきて、それは自分の将来を描くものになるのだろう。「ありうる自己像」は、そんな日々の思いや活動の中で見えてくるものだろう。毎日学校へ行って、教科書を教えるのとは違う世界を味わい続けた点では、他の人が経験できないステージに立ったということなのだろう。マルチステージとは何か自分の人生を振り返り、今後の日々を思い描きたい。