昨日は授業中に見せてくれた自然な集中度が教師にとっても良い思い出と書いた。他にも、振り返ればたくさんの子どもたちとの出会いが良い思い出として残っている。無形資産として分析すればいろいろな事例が語れそうだ。
小学生らしい純粋な心を私に残してくれたのは、ある小学校の合唱部の部長だった子だ。その活動に向かうまっすぐさがありがたくて、顧問だった私が指名して部長になってもらった。その年、市内小学校合唱部の講習会が、いつもやっている学校が使えず私の学校で引き受けることになった。日曜日の開催だったので、前日の土曜日の午後に練習と会場準備をし部活動は終わりにした。私は教科研究会があったのでそちらに行った。会議が終わって片付けをしていると、まだ体育館に合唱部の子がいるという。行ってみるとその部長と副部長が残っていた。驚いて何をしていたのか聞くと、部活が終わって帰ろうとすると、体育館の床があまりキレイでないことに気がつき、明日大勢の人が座る体育館の床をキレイにしたいと、二人で雑巾掛けをしたそうだ。なんと二人であの広い床を雑巾掛けとはと驚いた。一緒に様子を見に行った担任は「いつまでも何をやっているんだ」と厳しい声をかけたが、私は、いかにも“その子らしい思いやり”というか、こうでなくてはいけないと思うと真っ直ぐ行動に移す純粋さが素晴らしいと思った。
人は誰でも「自分らしい良さ」を持っていると思う。ライフシフトの本では「友情や知識や健康」を無形資産としてあげて、しかし誰もそれを「資産」と考えたりしないだろうと言っている。仲の良かった友達、世話になった先生、そんな人生の出会いを「資産」とするには、単に「思い出」だけではダメだろう。つながりを大事にし、理解し合い支え合うということは往々にしてある。しかし、そんな関係を生み出すのは、たまたま出会った時、遠くから見つめるだけでなく、声をかけ、懐かしい思いを共有し、心を重ね合っていくからだ。自分の良さを受け止めてくれる人がいる時、それが「資産」となる。もっと言うと、誰かに自分の良さを受け止めてもらえるように「自分自身が好きになること」そして、「自分の良さを誰かのために活かすこと」が重要だと思う。
本では、無形資産について“生まれつきの要素”は除外して考えるとしているが、持って生まれた美貌や財産もその使い方次第で価値を高めることもできれば、その逆もある。大事なことは、自分の持っている良さ(資産)を意識し、良い方向へ発展させていくことだろう。
私の座右の銘は「自敬の念」だ。頑張っている自分を認める時、もっと素敵に生きたいと思うものだ。