昨日は頭痛でブログを休みました。100年時代の人生戦略(ライフシフト)をテーマに今年は取り組み始めたが、やや寄り道をしてしまった。本題に戻して今日からは、「見えない資産」について触れよう、講演などで「無形資産」という言葉で何度も使わせてもらったが、その内容を掘り下げてみたい。
本では「お金に換算できないもの」と表現されている。昔から人間が持っている能力や生き方はいろいろな意味で評価され、生きるために大事な財産であることは誰しも感じてはいる。お金は確かに重要で、皆手に入れたいと思っているだろう。しかし、お金を稼ぐこと自体を目的にしているわけではない。それがもたらす豊かな生活、すなわち家族や仲間と不自由のない生活をする「よい人生」を得たいと思うからだ。どれだけ持っていれば良いとか、何をもってよい人生とするかなどは、ここではふれないが、家族や仲間、豊かな生活といったことそのものが人生にとって大事な無形の資産だろう。
たびたびニュースになる保険金をねらった殺害事件などをみると、お金を持っていることが良い人生を送れることに繋がらないこともある。お金に換算できない資産を、お金で手に入れようとしたボタンのかけ違いに気をつけなくてはいけない。
中学の社会科の授業は分厚い教科書を能率的に教えていかないと大変なことになる。どうしても教師の語りが多くなることが多かった。そんな時、クラスの中でよく目が合う男子生徒がいた。ほとんどの子が教科書や資料に目を向け、ノートを取るので下を向いている。だから、顔をあげ、こちらの話に集中している生徒は印象に残る。決して「真面目に勉強しなきゃ」というような真剣さより、「そうかー」というような、知識が入ってくることに興味を持っているような自然さがあった。
中学では「生活記録ノート」を全員がつけて毎日提出する。家に帰ってからどのくらい勉強したか何時から何時まで寝たかをつける。その生徒は、家での勉強の時間は本当に少なかった。しかし、テストの成績は結構優秀で、生徒会の役員・部活のリーダーとしても活躍していた。その生徒にとって、机に向かって「覚えなきゃ」というやらされ感覚より、「面白い」感覚が優っていて、授業で学ぶことが自分の中にうまく入っていったのだろう。
そういった吸収力や仲間と触れ合う柔らかさは大事な財産だと思う。「無形資産」という言葉を聞くと思い出してしまう顔だ。そんな思い出を教師の心に残してしまう能力も大事な資産だろう。