物事が見える、その物事の意味や根拠を理解しようとする、そのことに興味を持ってくると、自分自身の生きていることの実感も持てるようになる。なんとなくではなく、命の次に大切な「選択の自由」を感じるから。
昨日は、国境の話が出たが、ちょうど今読んでいる小説「翼をください」(原田マハ著)でそれを考えさせる場面があった。時代は第2次世界大戦の少し前のこと。小説の主人公エイミーは、女性で初めて大西洋横断飛行をしたパイロットだ。彼女がちょっとしたきっかけでアインシュタインと懇意になる。二人の会話の場面だ。
エイミーは横断飛行を成し遂げた時のコメントで「空から見ると国境なんかない。世界は一つ」と語ったことが新聞で取り上げられていた。それをアインシュタインから問われた時、「大西洋を横断して感じたんです。国境というのは人間が作り上げたもので、物理的には存在しない。私たちの意識が国境に越えられない壁を作ってしまっているんじゃないかと」と言う。エイミーは、“自分は世界平和のために飛んでいる”と内心思っている。
それに対してアインシュタインは、「そこに反論すると言っているんだ。国境は人類の創造の産物なんかじゃない。確固として存在するんだよ。だから世界はひとつじゃないんだ。」と言う。アイシュタインは、第1次世界大戦で平和主義を貫き、その後勢いを増してきたナチスを批判してアメリカに亡命してきたのだ。「だからこそ……大事なのは……共存すること」「民族の違い、国家の違い、個人の違いはどうしたってある。それを認めて、受け入れること。それが共存共栄への第一歩だと、私は思うんだが」と語る。
「◯◯ファースト」は、「皆さんを大事にします」ということならばまあ良いとして、それが実現しにくい時は、どこかに敵対する存在を作って、「私が皆さんを守ります」とか、「あのけしからん相手と戦います」的な発言でヒーロー的存在になろうとするのは怖い。ヒトラーも、最初はあのトーンで国民をまとめ、大きな力を集結することで、第一次大戦後悲惨な生活を強いられていた国の難問を信じられない勢いで解決したという。それが最後には自分たちが世界を率いる的な国民の戦意高揚につながったのだ。それぞれの違いを認め、互いに受け入れいかに共存していくか、それはいつになっても忘れてはいけない重要な人類の課題だ。
こんなふうにたまたま読んだ小説すら、このブログで扱いたい内容に直結する。それは、物事の意味や根拠を知りたいと思う働きが、いろいろなことの根本に人の生き方として共鳴するものがあるからだろう。「選択の自由」とは、単に「面白そう、美味しそうだからこれにしよう」ではなく、生きている一人の存在として自分がどう生きるかを考えるということなのだろう。だから面白い。