昨日のフランクルの言葉「しあわせは結果に過ぎないのです」は、人によって色々な受け止めがあるだろう。だからこそその意味を考えることの重要さに気づいてほしい。資産がいくら以上ある人が幸せだとか、社会的な立場のこんな人が幸せだとか議論しても無意味だ。逆にうまくいかない出来事を自分のせいにしたり、誰かを恨んで気を鎮めたりしても人生はますます停滞していくだろう。でも「ポジティブに受け止めていこう」なんて簡単に言えない。一昨日の田中将大の妻は「頑張ってなんて言えない」の一言だった。本人が結果を笑顔で受け止めて、よしまた来年はこんなふうにやってみようと言えるような状態になって、初めて「頑張って」と言えるのだ。どんな結果になっても、自分の日々の姿を大事に受け止め、自分らしさを失わずに進める時、サクセスフルエイジングなのだ。
参考書の次の項は“Q&A”なのだが、その最初の項は「生きるのがむなしい人の処方箋」だ。「仕事は定年、子どもたちも巣立ちいろんなことがつまらなくて、この先どうせ生きていたって…」という相談に対しての答えは、「ボーン型人生かオリジン型人生か」と書いてある。
「ボーン」はチェスの駒のこと、「オリジン」は、チェスの差し手のことだ。心理学者ド・シャームの論で、ボーン型人生の人は、自分をただの駒だと思っていて、どうせ頑張っても自分はただの駒だしという生き方で、歳をとると共に無気力になっていく。反対に「オリジン型人生」を送る人は、自分はどう次の選択をしていくかは自分が考えて決めるというタイプで、充実感・アグレッシブさに満ちているというのだ。
これは、以前私が音楽授業研究のところで書いた「駒感覚」か「差し手感覚」かと同じ内容だ。先生に指示された通り表現する技を磨くことは大事な能力かもしれないが、さらに「自分はこんなふうに思いを込めてここを工夫したい」という自分の考えを実践できる感性豊かな子に育てたい。
明日は、芹田公民館で「歌と健康セミナー」の第2回目が行われるが、その指導の柱は、「命の次に大切なものは何ですか」という問いだ。その答えは「選択する自由がある」ということだ。まさに「差し手感覚」「オリジン型人生」だ。同じことでも、成り行きで何となくとか、役目だから仕方なしやるのではなく、自分なりに意味や方法の工夫を図ってやることで、充実感がある。そういう人生を送れた時、サクセスフル(幸福な老い)「結果としての幸福感」を得られるのだろう。(続く)