自分と社会を見つめる科学 その28

 昨日の老年期の生き方に不安を抱えていた女性が、「この歳でも人を好きになっていいんですよね。」と笑顔になった事例の前段のところがやはり重要だと思う。自転車が無くなってたらい回しにされて悩んでいる自分に身近な人たちが、「考えすぎだよ」とか「もう新しい自転車を買ったらいいじゃない」などと、慰めているのか突き放しているのか、ともかく本人の気持ちに寄り添おうとしていない。

 老年期の過ごし方でまずカギになるのは家族とのやりとりだと思う。いよいよ自分らしい自由な老年期の楽しい日々を願っているのに、心配しているような口ぶりで年寄り扱いをしたり、そのくせ自分の方が収入が良くなっているはずなのに何かと資金面で応援を頼んだりと、相手の気持ちに棘を刺すような接し方をしていないだろうか。まあ、子どもたちは仕方ないとしても夫婦の考え方や言葉の理解の違いは、毎日のことだけに許し難い思いが膨らんでいく。

 以前読んだ男女脳の違いについての本は面白かった。男は結論を早く出したがるのに対して、女は問題の過程を共有してほしいと思っている。妻が自分の困ったことや驚いたことを表現をつけて語り出すと、夫は「こうすればよかったじゃないか」とか「それはこういうことなんだろう」などと、口を挟む。妻はそれなりにどうしなきゃいけないか結論はわかっているので、「私の話を全然聞いてくれない」となる。

 上の自転車を無くした状況と同じだが、夫は「それは大変だったね。どうしたらいいだろうねえ。」と共感してあげることがまず大事だろう。部下やお客さんには、そんなふうに相手に寄り添って丁寧な対応ができるのではないだろうか。彼女が好きな人が二人いるという状況の裏には、そういう丁寧な対応に心を惹かれた出会いがあるのかもしれない。まあ、その夫とも最初はそんな心惹かれる付き合いがあったかもしれないが、家族になってそれを維持していくことは確かに難しい。

 老年期をサクセスフルに過ごすには、そんな身近な人に自分の思いをしっかり受け止めてもらえるよう行動を起こさなくてはいけないと思う。悩みの根幹が何なのかわからなくなってしまう「マスキング状態」になってしまわないよう気をつけなくてはいけない。そのためにも、具体的なより良い過ごし方の方向を探っていこう。(続く)